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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2019年2月10日  年間第5主日 C年 (緑)
わたしがここにおります。わたしを遣わしてください(イザヤ6・8より)

イザヤの召命   
ロダ修道院の聖書写本挿絵 
スペイン カタルーニャ地方 パリ国立図書館 10世紀

 預言者のイザヤの召命の場面――きょうの第1朗読イザヤ書6章1−2節a、3−8節にちなむ挿絵である。きわめて簡略化された線描画であるが、その要素は、朗読箇所に登場する存在をしっかりと踏まえている。まず「高く天にある御座に主が座しておられるのを見た」(イザヤ6・1)という預言者の証言に応じて、玉座の主が描かれる。幾層もの段の上に据えられている玉座というところに「高く天にある御座」の意味を込めているのだろう。主の姿は、イコンのキリスト像のように、左手で巻物を抱え、右手は神の権威あるいは祝福を示すようなしぐさである。
 玉座の主の両側にいるのは、セラフィムと呼ばれる存在、神と人との仲介者とされる存在で、天使的存在の一つの旧約的な形象である。朗読ではなぜか略されるが、2節全文では「上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた」と記されている。この絵の中では、主の家臣のように両脇に配置され、顔も足も覆われず見えてしまっているが、六つの翼を描きこもうとする意図は充分に窺える。朗読箇所の文脈中は、セラフィムは、主の聖性を賛美する存在として、またイザヤへの召命を仲介する役割で登場する。セラフィムのひとりが「祭壇から火鋏(ひばさみ)で取った炭火」をイザヤの口に触れさせ、神のゆるしと召命をイザヤに伝えるという場面である(6・6−8)。「セラフィム」という名はサラフ(燃やす)と関連しているので、この場面での役割がとくに関係しているといえる。
 この召命の場面では、イザヤが主の聖性の前で自らの罪の汚れを自覚すること(イザヤ6・5)、神から罪の赦しに触れること(6−7節)、神の反語的な呼びかけのことばに自らすすんで「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」とイザヤが告げること(8節)――そのような神とイザヤとのやりとりが注目される。それが、きょうの福音朗読箇所の場面=イエスによる最初の弟子たちの召命(ルカ5・1−11)の場面の予型(前表)として読まれることで、両方の箇所がお互いに照らし合わされる。シモン・ペトロが、イエスの前で主の聖性を感じ、足もとにひれ伏して「わたしは罪深い者なのです」と告白する場面(ルカ5・8)、それに対して、「恐れることはない」とゆるしを与えつつ「今から後、あなたは人間をとる漁師になる」と呼び招くイエスのことば(10節)、「すべてを捨ててイエスに従った」ペトロをはじめ弟子たちの行動(11節)が重なって見えてくる。
 これも、神の計画の働きの中でのことである。このような主の招きは、キリスト者一人ひとりに及んでおり、今もいつもたえず与えられている。この日の聖書朗読箇所を見て、また旧約の場面を描く挿絵を見て、召命とミサとの関係を考えざるをえない。上述のセラフィムが主を賛美することばである「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う」(イザヤ6・3)は、ミサにおける「感謝の賛歌」の前半の元になっているからである(「感謝の賛歌」では最後の句が「天地に満つ」となる)。召命のときに出会う神の聖性への賛美と考えると、ミサもたえず我々への呼び招き、つまり召命の出来事であると考えなくてはならない。すべての人のあがないのためになされたイエスの自己奉献、その意味での死と復活は、神の聖性が限りなく現れる出来事である。それによって、神のゆるしに触れる我々は、そこで呼びかけておられる神の招きにすすんで従う決断を繰り返すのである。「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧。あなたをおいてだれのところに行きましょう」という聖体拝領前の告白は主の召命に従う決心の告白にほかならない。聖体拝領が召命応答行為であるということを、「聖なるかな」の賛美はまぎれもなく示している。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために  

叙唱に続く感謝の賛歌は、このような、イエス・キリストによってもたらされた、神の救いのわざをたたえる歌です。この歌のことばは、旧約聖書に描かれている天上界の天使たちが永遠にわたって神をたたえる賛美の歌です。新約聖書では、同じ歌はイエスのエルサレム入城の際、イエスの到来を迎えた人々によって歌われています。

吉池好高 著『ミサの鑑賞―感謝の祭儀をささげるために』「ミサ式次第に沿って――感謝の典礼」本文より


――聖書には、イスラエル人の文化はいうまでもなく、しばしば周辺の民族の文化の影響も見受けられます。天使ケルビムとセラフィムも、ペルシャとバビロニアの天使神学の影響を色濃く受けています。ご存知のとおり、紀元前六〇〇年のころ、ユダヤ人は強制的にバビロニアに連れていかれました。いわゆるバビロン捕囚で、そこに七十年ほど住んだ経験が、当時ペルシャとバビロニアで非常に盛んだった天使神学の影響を聖書にもたらしました。

ミシェル・クリスチャン 著『聖書のシンボル50』「33 天 使」本文より

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