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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年01月24日  年間第3主日 (神のことばの主日)  B年(緑)  
わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう (マルコ1・17より)

ペトロ(シモン)とアンデレの召命 
モザイク 
ラヴェンナ サンタポリナーレ・ヌオヴォ教会 6世紀


 きょうの福音朗読箇所はマルコ1章14-20節。イエスの福音宣教の開始と、最初の弟子たちの召命の場面である。「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき」(マルコ1・16)というさりげない描写によって、まことの人間で神の御子イエスのリアルな姿が浮かんでくる。「ガリラヤの風かおる丘で」(典礼聖歌・讃美歌21)の歌が思い出される。そのイエスが漁師であったシモン(ペトロ)とその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを呼び出す。
 ラヴェンナのこの絵は、イエスの姿もすでに皇族・貴族のような衣装でその尊厳が表現されるとともに、すでに弟子がいるという姿でも描かれる。よくこの描法について質問がなされるが、この衣装も白衣の弟子も、イエス・キリストの「主」としての尊厳を表現する付属要素なのではないだろうか。すでに復活した主が描かれているといってよい。その主の地上における事跡の最初の出来事が左側に描かれている。厳密な遠近感や距離感は関係なく、イエスが兄弟である二人の漁師を呼び出したという出来事が浮かび上がる。イエスの右手のしぐさは、祝福と権威のしるしであり、それをしっかりと受けとめ、見つめるペトロとアンデレがいる。両者の心の行き交う真ん中の空間には、聖霊がみなぎっているに違いない。
 ペトロが網を下ろす両腕のたくましさもまた見事である。それは、やがて「人間をとる漁師にしよう」(マルコ1・17)というイエスのことばにこたえて、宣教に邁進する使徒の力強さを予告していると見ることもできる。とすると、この網の中にすでにかかっている魚は、福音を聞き、救いの恵みにあずかることになる人々を予告している。魚には確かにそのような象徴的意味が初期からあったのである。さらにそう考えるならば、ペトロとアンデレの乗る舟を教会の象徴として見ることも可能であろう。
 マルコのこのあたりの叙述は「すぐに」ということばが大きな印象を残す。ペトロとアンデレが従ったときも「すぐに網を捨てて」(18節)であった。そのあと、ゼベダイの子ヤコブと兄弟ヨハネをイエスが「御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった」(19-20節)のである。
 先週、ヨハネ福音書における「見る」に注目したが、マルコのここでもやはり、見ることが重要な要因となっている。イエスは、シモン(ペトロ)とその兄弟を「御覧になっ」(16節)て呼び、ゼベダイの子ヤコブと兄弟ヨハネに対しても同じようにしたのである。イエスは、これらの兄弟の中に何を見たのであろうか。そのような神の御子としてのまなざしが興味深い。ここの叙述の本当の主役は、イエスが彼らを見つめるその視線なのではないだろうか。そして、そのときの視線は、今、我々に向けられてもいると考えることが大切である。そう考えながらモザイクに目を移すと、実際、イエスの目がこちらにも向かっているように見えてくる。神のまなざしは、いつも我々の心の中に向かっている。従いなさいとのことばが、そのまなざしから発される呼び声だとわかったとき、人は「すぐに」従うことができるのだろう。ペトロもアンデレも、いつも自分に働きかけていた、まだ知らなかった神の声を、イエスの呼び声のうちに聞いたからこそ、「すぐに」従うことができたはずである。
 心のうちに感じられる(神の)声、そして、それに気づかせてくれたイエスの呼び声、それらは、まさに神の国の到来を意味するものにほかならない。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)という宣教が始まってから、弟子たちの召命が必要になり、呼び出していったというように、これらは別々の出来事だったわけではないだろう。イエスに呼ばれ、神の招きだと気づき、すぐに従ったというこの経過のうちに、まさしく神の国が実現している。神の国は、苦しんでいる人々への救いという形で示されるのもイエスの宣教の一つの特色だが、きょうの叙述から始まる、さまざまな人々の召命も歩みもまた、神の国に実現にほかならない。このモザイクの味わいがそこにある。それを表すように、イエスの招きとそれにこたえようとしているペトロとアンデレを包む背景は、まさしく栄光の金色で満たされている。モザイク設計者・制作者たちも、福音書の心を本当によく受けとめていたといえるのではないだろうか。
 神の招きにすぐにこたえる最初の弟子たちの態度は、まさしく「回心」、心をきっぱりと神の御子に向け直していくものであった。第1朗読で読まれるヨナ書のエピソード(ヨナ3・1-5、10)でも、また人々の回心の様子を「御覧になり、思い直され」る、主のまなざしがクローズアップされている。福音朗読と見事に響き合っている。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

新しいイエスのいのち

 人々はイエスに出会ったとき、今まで経験したことのない、愛情あふれる生き方に触れて魅了されました。イエスは、父である神に愛されている子として感謝にあふれながら天の父を愛し、隣人を自分の兄弟姉妹として大切にして生きる自由な生き方をしたお方でした。それは驚きと憧れの的であったと思います。


中川博道 著『存在の根を探して──イエスとともに』「12 イエスに近づく」本文より

 定期刊行物のコラムのご紹介

『聖書と典礼』年間第3主日(2021年01月24日)号コラム「『同じ屋根の下』――キリスト教一致祈禱週間」

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