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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年08月01日  年間第18主日  B年(緑)  
永遠の命に至る食べ物のために働きなさい (ヨハネ6・27より)

弟子にパンを分けるイエス 
エグベルト朗読福音書   
ドイツ トリール市立美術館 980 年頃


 きょうの福音朗読箇所は、ヨハネ6章24-35節。これは、6章のはじめ1-14節に伝えられる、五つのパンと二匹の魚で5000人の飢えを満たしてなお余りあったというエピソードの翌日の話となっている。表紙絵に掲げられた挿絵は、こちらの話に対応しているものだろう。イエスが両側の使徒たち(頭上の文字APOSTOLI)にパンを渡しているところが描かれ、両脇には群衆(頭上の文字TURBAE) が描かれているからである。
 先週の解説でも確かめたが、5000人に食べ物を与える話は、4福音書共通でマタイ14章13-21節、マルコ6章30-44節、ルカ9章10-17節、ヨハネ6章1-14節にある。似た話で、4000人を七つのパンと小さな魚で満たした話がマタイ15章32-39節とマルコ8章1-10節にある。興味深いのは、これら合計六つの叙述の中で、さりげなく弟子たちの働きに触れられていることである。まず、イエスは弟子たちに群衆を座らせるよう命じている(マタイ15・35-36;マルコ6・39、ルカ9・14-15、ヨハネ6・10)。次にパンを裂いて弟子たちに渡し、そして群衆に配らせ、魚についても同様な記述を含むものがある(マタイ14・19-20、マタイ15・36-37、マルコ6・41、マルコ8・6-7;ルカ9・16、ヨハネ6・10)。
 これらの話では、真っ先に、イエスが少ない食べ物からも多くの人を満たしたという、“奇跡”に目が行くものだが、イエスがパンを弟子に渡し、弟子たちがそれを配ったことへの関心も見てとれる。そこからは、まさしくきょうの福音朗読箇所で告げられる弟子たちへのことば「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(ヨハネ6 ・27)というメッセージが重く響く。永遠の命に至る食べ物とは、究極にはイエス・キリストのことであり、キリストのために働きなさい、と呼びかけられているのである。「わたしが命のパンである」(ヨハネ6・35)という決定的なことばにも、キリスト者すべて、特に司祭への召命のことばが含まれていると感じざるをえない。この表紙絵に描かれるキリストの姿と二人の使徒の姿のうち、キリストとわれわれの関係を黙想していくことが重要となる。
 そのようにして、この絵のうちに、ミサをささげながら生きている教会とキリストとの関係を見つめていくことができる。両側の弟子たちはキリストの使命にあずかり、それに協力する司教、司祭、助祭たちの働きの原型であろう。信徒は、教役者たちの奉仕によって与えられる聖体を受ける側の民衆によって象徴されているといえるが、信仰者であるかぎり、きょうの福音にあるように「永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と呼びかけられている弟子でもある。聖体を受ける我々は、ただ食べ物を与えられて満たされる群衆の一人というだけでもない。一人ひとりがその中から立って使徒的使命を受け、キリストによってもたらされた恵みを人々に分け与えていくよう招かれているのである。
 もちろん、きょうの福音は、「働きなさい」と呼びかけられた弟子たちが、「神の業(わざ)を行うためには、何をしたらよいでしょうか」(ヨハネ6・28)と問いかけると、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」とも教えられる(29節)。のちの時代の教会の活動を思うと、この「信じること」には信仰宣言や宣教や信仰教育も含まれていき、また「神の業を行うこと」には、礼拝活動や愛の実践が含まれていく。キリストの体を受け、分かち合うミサ(感謝の祭儀)に、これらの活動は集約されていく。
 さて、絵の中のイエスは、光輪と深紅の衣が示すように受難を通して栄光に入られた主として表されている。両手にもつパンは、すでに自分自身の体を明け渡す、奉献の姿勢も感じられる。使徒たちは恭しくそれを受けとっている。ここにはすでに礼拝が生まれている。パンを待つ両側の群衆の表情も、丁寧に描かれている。皆、目を開けて、イエスと使徒の間に起こっていることをじっと見つめている。待望の気持ちと緊張がともに窺われる、これらの顔は信仰の芽生えの描写ともいえないだろうか。その顔は、今、この絵を見つめる我々にまでつながっている。
イエスと使徒が立ち、群衆が座るのは緑の草むらで、背景には曙光のような色合いが広がる。これらすべてが、イエスの訪れによってもたらされ新しい永遠のいのちのイメージを喚起させてやまない。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

表現の相違に注意
四つの福音書がそろって伝える奇跡物語は思いのほか少ないが、五千人にパンを与える奇跡はその珍しい例の一つである。同じ出来事を述べているのは明らかであるのに、読み比べてみると、かなりの違いがあるのに気づかされる。違いがあれば、その理由を考えてみるのも無駄ではない。違いの中に、それぞれの特徴が表されていることもあるからだ。

雨宮 慧 著『聖書に聞く』「17 荒れ野を変える人」本文より

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