本文へスキップ
 
WWW を検索 本サイト内 の検索

聖書と典礼

表紙絵解説表紙絵解説一覧へ

『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2021年12月25日  主の降誕 (日中のミサ)  (白)  
言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。(ヨハネ1・14より)

主の降誕と羊飼いへのお告げ
ケルンで作られた朗読福音書
ブリュッセル王立図書館 13世紀

 中世の聖書写本画に描かれる主の降誕図のさまざまな要素がわかる13世紀の作品である。特に降誕の聖家族の部分と、羊飼いへのお告げの場面が二つ縦長の構図で収められているのがこの図の場合、特徴である。
 まず、(向かって左側)のマリアと幼子を見てみよう。マリアは群青色の輪郭をもつ寝床にいる。産後の疲れ思わせる寝床に横たわるマリアを描くのは東西ともに共通の伝統だが、この絵では、全体の構図の関係で、寝床が立て掛けられたように配置されている。ヨセフの位置もさまざまな場合があるが、ここでは、マリアと幼子のいる寝床の真下に配置されて、しかも、座に着いている。ヨセフはやや困惑した面持ちである。マリアの顔は喜びと幸せを感じさせるのに対して、ヨセフの表情には、驚き,畏れ,不安さえも窺われる。このような描き方は、かなり繊細であり、それが神の御子誕生の神秘をよく示しているようである。
 そのマリアと幼子であるが、より古い降誕図では、幼子は飼い葉桶の中にいて、そこをロバと牛が覗き込んでいるというのが定型であった。ここでは、幼子は、マリアの胸に抱かれており、しかも、その乳を吸っている。10世紀、11世紀の写本画では、神の御子が現世の人間となったことを厳粛に示していた飼い葉桶の幼子だったが、この絵では、マリアとイエスが人としての母と乳児という関係に移行している。ここに人間的なものに情感をこめて眼差しを向ける中世末期、そして近世に開花する感性の芽生えが感じとれる。
 飼い葉桶をのぞくロバと牛は、降誕図の定型要素である。イザヤ書1章3節で「牛は飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉桶を知っている」という文言をもとに、ユダヤ人も異邦人も含めて万人が主を知るようになったことを示す表徴として普遍の図像要素となったものである。ただし、ここで幼子のいない飼い葉桶(ここでは箱型に描かれている)を覗いているところは、やや滑稽でもあるが、右側の羊飼いへの御告げの場面と合わせて考えると、ロバと牛は、主を知る者というだけでなく、主を告げ知らせる者であるという方向性が与えられているのかもしれない。
 さて、右側の羊飼いたちへの御告げは、主の降誕・夜半のミサの福音朗読箇所とともに味わうのがふさわしい。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな』(以下略)」(ルカ2・8-10)。下に描かれる羊たちの群れ、そして二人の羊飼い。天上から羊飼いに祝福をもって告げる二位の天使……羊飼いは畏れをもって天使たちを仰ぎつつ、その一人は右手を上げて、天使の祝福の告げ知らせを受け取ろうとしているようである。もちろん、ルカ福音書の叙述の流れからすると、かなりここの要素はバラバラに配置されているようではある。しかし、この絵は、むしろ、天使から「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」(ルカ2・11)と告げられている事実、そして、真ん中でロバと牛が覗き込もうとしている救い主が、実はマリアの胸に抱かれつつその乳を吸っている幼子なのであるということを表現しているものとして鑑賞することもできる。
 幼子をくるむ布の白さが、この絵の場合、非常によく目立つ。伝統的には、これも、さらにひもで縛られていて、人間としての現世的な存在条件のもとでの誕生が強調されていたが、ここでは母の乳を吸うというところに、その人間性を表現するという意図があったのかもしれない。まさしく、この降誕・日中のミサの福音朗読箇所ヨハネ章1-18節の中の要となることば「「言【ことば】は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)ことが表現されている。まったく一人の乳児となったことに、「わたしたちの間に宿られた」ことの徹底した表現である。
 もう一つ、この写本画で味わいたのは、全体の地の色が金色であることである。神の栄光がいかにこの出来事を包んでいるか、精一杯に表現されている。そして、さまざまな部分を彩る赤も聖性のしるしである。そして赤と対照をなす緑色は、やはり命の色であろう。神の栄光、神の聖性に満たされた新しい命の誕生といったイメージがこの場面を描く際の根底にあるメッセージであると考えられる。
 父の独(ひと)り子としての栄光(ヨハネ1・14参照)は、幼子そのものの描写にこめられているというよりも、この場面全体を埋めつくす配色をもって描かれているようである。「言【ことば】の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1・4)、そして第2朗読のヘブライ書1章1-6節、とくに「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」(1・3)であるという教えも、このような図と配色の下に味わっていきたい。集会祈願の「神のひとり子が人となられたことによって、わたしたちに神のいのちが与えられますように」という祈りとともに………。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

22 神の子羊
 勝利とは負けること、負けることによって勝利を得るというパラドックスは、そのまま小羊に当てはまります。弱い小羊が勝利を得たのです。この小羊の姿に、キリスト教のすべての意味が含まれています。すなわち、「わたしは仕えられるためではなく、仕えるために来た」とキリストは言われているのです。

ミシェル・クリスチャン 著『聖書のシンボル50』本文より

このページを印刷する

バナースペース

オリエンス宗教研究所

〒156-0043
東京都世田谷区松原2-28-5

Tel 03-3322-7601
Fax 03-3325-5322
MAIL