2024年1月7日 主の公現 (白) |
主の栄光はあなたの上に輝く(第一朗読主題句 イザヤ60・1より) 三王礼拝 ケルンで作られた朗読福音書挿絵 1250年頃 表紙絵は、ドイツ、ケルンにあるベネディクト会の大聖マルティン修道院聖堂で作られた朗読福音書の挿絵である。その写本は、ベルギー、ブリッセルの王立図書館に所蔵されている。中世の伝統で「三王礼拝」という画題の絵で、その典拠はもちろんきょうの「主の公現」の福音朗読箇所マタイ2章1-12節で述べられる東方の占星術の学者たちの幼子への訪問と礼拝の出来事である。 まず絵に注目しよう。全体として赤と金色の二色による構成が印象づけられる。各人物の衣、マリアの座る玉座というべき椅子、その天蓋、内側の縁取りなど赤が強調されつつ、背景空間、そして天蓋の上の枠をはみ出す位置にある星も金色で統一されている。金色は、もちろん輝かしさを示し、第一朗読箇所イザヤ60章1-6節の冒頭「主の栄光はあなたの上に輝く」(1節)、「主の栄光があなたの上に現れる」(2節)「王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む」(3節)のすべてを連想することができる。マリアの座る椅子自体が建物ように描かれているところ、王たちの上の部分にも建物の一部が描かれているように、この場所は、一つの都市を象徴している。それは、イザヤの預言がきょう伝える主のことばが「(エルサレムよ、)起きよ、光を放て」(1節)とエルサレムに向かうことばであるという前提も踏まえられている。エルサレムに象徴される神の民への恵みの約束を踏まえて、福音書では、今、神の全人類への救いの恵み、神の栄光が幼子イエスの上に満ちていることが告げられる。その生涯を通して、救いの計画が果たされることの先駆けとして、異邦人である東方の占星術の学者たちの礼拝が語られる。すべての人の救い主の現れ、すなわち公現(原語は「現れ」を意味するギリシア語「エピファネイア」、ラテン語「エピファニア」)がこの出来事を通してあかしされるのである。 何よりも、幼子イエスの姿、その姿勢に注目したい。両手を広げ、左手には全世界を示す玉が、右手は、主としての祝福を授けようとする姿勢である。マリアは、このような主の尊厳に満ちている幼子(すでに少年のような面持ちだが)の座のような姿勢を取り、三人の王に手を向けて、イエスを示している。福音書では「学者たち」と記されるだけだが、やがて三つの贈り物にちなんでそれが三人として、また上にも引用した「王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む」(イザヤ60・3)も作用しているのであろう、学者たちもやがて王たちと考えられるようになる。さらにこの三人の王が老年・壮年・青年という三世代を反映するものとして描くことも伝統となり、この絵でも、幼子の前にひざまずいて供え物をしている白い髭や髪の王は老年、後ろの二人のうち、右手を上に挙げている王は青年、その後ろ(画面の左端)の王は、壮年を代表する。 きょうの聖書朗読箇所では、第一朗読箇所も答唱詩編(詩編72・2,4,7,8,10-13)も福音朗読箇所も、ともに神への「贈り物」というイメージで結ばれている。神の救いの実現を知った喜びと、まことの神への礼拝の心がそこに凝縮されている。福音書が記す「黄金、乳香、没薬」(マタイ2・11)に関する、教父の解釈伝統では、「乳香」は神への献げ物に使われることからキリストの神性に、「没薬」は埋葬に使われたことから、キリストの死すなわちその人間性に、そして「黄金」は王への贈り物としてキリストが王であることを示すしるしとされる。いずれにしても、救いの実現に対する旧約の約束と新約におけるその成就がここに符合する。そこに、まさに第二朗読箇所(エフェソ3・2、3b、5-6)でいわれる神の「秘められた計画」(3節)の啓示がある。 もう一つ心に留めたいのが、福音朗読箇所の、学者たちが「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」(マタイ2・11)という記述である。マタイ福音書にとって「共におられる」は、全体を貫く重要なキーワードである。イエスの誕生の予告の中では「その名はインマヌエルと呼ばれる」(イザヤ7・14参照)という預言が引用され、この名が「神は我々と共におられる」という意味であると解説され(マタイ1・23)。復活の後、イエスは弟子たちに「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(同28・20)と告げる。このように、イエスを「我々と共におられる方」とあかしするマタイ福音書がここでは、「マリアと共におられた」と記す。神に選ばれた、御子の人としての誕生と成育の座として、恵みの座としてマリアを描いているのも、この図の特色といってよい。マリア崇敬のためにも重要な出来事が、この三人の王、東方の占星術の学者たちの訪問と礼拝である。 |