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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年3月3日 四旬節第3主日 B年 (紫)  
 わたしの父の家を商売の家としてはならない (ヨハネ2・16より)

神殿を清めるイエス
エグベルト朗読福音書
ドイツ トリーア市立図書館  980年頃

  四旬節第1、第2主日の福音朗読配分は、ABC年がいわば横並びに共通のテーマ(第1主日:イエスが試みに合う/第2主日:変容)をマタイ、マルコ、ルカから読むというかたちだったのに対して、四旬節第3~第5主日はABC年では、それぞれ独自の配分が展開される。B年の今年の場合、四旬節第3~第5主日はすべてヨハネ福音書から読まれ、それぞれにイエスの死と復活の神秘に触れる内容となっている。きょうの第3主日の福音朗読箇所は、ヨハネ2章13-25節。いわゆるイエスの神殿清めの場面である。
 表紙絵は、まさしくこの場面についての朗読福音書挿絵である。背景をなす建物(城壁・城門のようである)がエルサレムの神殿という話の舞台を暗示する。「イエスは縄で鞭を作り」(ヨハネ2・15)とあるが、その鞭を絵の中のイエスは右手で握り、振り降ろそうとしている。イエス自身の格好は、すでに主としての尊厳を有している。高貴な紫色の上衣、神のことばを象徴する左手で抱える本、そして十字架の出来事を通って栄光ある存在となったことを暗示する頭の光輪がその定型要素である。福音書の叙述では、「羊や牛をすべて境内から追い出し」(15節)とあるので、かなり激情的になっているように想像されるこの場面だが、絵の中のイエスは、たしかにその目を見ると、厳しくにらんでいるようにみえるが、姿自身は、静寂と清廉さに満ちているといえる。鞭を振り降ろそうとする動作や姿勢も力んでいるように見えず、この神殿の境内の地にしっかりと立っている姿そのものが厳かさに感じられる。
 (向かって)右側に描かれているうち、体を後ろ向きにして、鳩を抱えている人のうちに、叙述との関連が示される。二羽の鳩の上には、ラテン語のcolumbae(鳩たち)と記されている。右端の座に着いている男は両替人である。上にnummularius(両替人)と記されている。彼の「金をまき散らし、その台を倒し」(15節)という描写はないが、起こる寸前なのかもしれない。鳩を抱える3人の格好は、まさにこの瞬間にイエスから言葉が告げられていることを想像させる。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」(16節)というその言葉である。
 この出来事の中を通して、ヨハネ福音書は、二つのメッセージを盛り込んでいるようである。エルサレムの神殿は、主である神の命によって建てられたものであるが、それが「わたしの父の家」(16節)であること、もう一つは、神殿の破壊と建て直しということになぞらえて、自分の体のこと、つまりは自分のいのちのこと、その死と復活のことを暗示し予告しているということである。「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思いだし」(22節)とあるとおりである。
 神殿とは「御自分の体のことだった」(21節)という、神殿の意味は、神がともにいること、神と交わる場であるということである。この神殿になぞらえて、イエスが自分の体だと語るとき、自ら、死と復活によって万人にとっての神がともにいる場になるということを教えていることになる。共観福音書における同じ場面(マタイ21・12-17;マルコ11・15-19;ルカ19・45-48参照)で、「わたしの家は、……祈りの家」と教えるイエスの意図は、神殿という具体的な建物を超えていこうとしている。
 このような教えと響き合うのが、一コリント書6章19-20節のパウロの教えである。彼は、訴えている。「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい」。聖体を通してキリストの体/いのち結ばれているキリスト者は、自身が聖霊の住まう神殿であることをパウロは悟らせようとしている。それが、キリスト者である自分たちである。このような教えが含まれていることで、四旬節の主題が明確になる。自分自身を清めること、神による清めにこたえること、徹底した清めを願う求めることである。この清めとは、神が求めている礼拝と生き方を実践することであり、その生き方の出発点として十戒の箇所(出エジプト20・1-17)が第一朗読で読まれるのは意義深い配分である。
 きょうの聖書朗読箇所を通して、四旬節における入信志願者のきよめとてらし、そして、また信者自身の回心をイエス自身の姿とことばが呼びかけていると言えよう。それは、第2朗読箇所一コリント1章22-25節が語るように「神の力、神の知恵である」(24節)キリスト、「十字架につけられたキリスト」(23節)の姿と教えにほかならない。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』四旬節第3主日

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