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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年4月14日 復活節第3主日 B年 (白)  
イエスは、それを取って、彼らの前で食べられた。 (ルカ24・43より)

復活したイエスと弟子たち
エグベルト朗読福音書
ドイツ トリーア市立図書館 980年頃

 きょうの福音朗読箇所は、ルカ24章35-48節。A年の復活節第3主日に読まれる24章13-35節(エマオに向かう弟子たちと復活したイエスとの出会い)にすぐ続く箇所である。冒頭の35節が両者をつなぐ形となり、きょうの箇所では、エルサレムにいる弟子たちのところにイエスが現れ、「彼らの真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた」(36節)という点がまず注目される。同様のことは、復活節第2主日の福音朗読として毎年読まれるヨハネ20章19-31節でも19節と26節の2回、言及されているからである。このことがとても重要であることが感じられる。
 そして、復活したイエスの現れに対して、弟子たちが「恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」(37節)とある。これはヨハネ20章で語られるトマスの疑いとも並行した内容であるといえる。それに対して、イエスは「わたしの手や足を見なさい」(39節)と言って、実際に「手と足をお見せになった」(40節)。さらにそれを実証するために、食べ物を求め、焼いた魚が差し出されると、「イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた」(43節)という経過である。これらのことを、この表紙絵に掲げられた挿絵は描き出そうとしている。食べ物はかならずしても焼き魚には見えないが、弟子たちが差し出す食べ物をイエスが取ろうとしている光景であることは十分に伝わる。
 ルカ福音書では、食べたあとにすぐイエス自身による説き明かしがある。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する」(44節)と告げること、また「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」(46-47節)という形で、聖書による預言がイエスの死と復活によって実現したことが明かされるところである。そのためにイエスは弟子たちの「心の目を開いて」(45節)いる。
 このような流れは、エマオに向かう弟子たちとのエピソード(ルカ24・13-35)の場合にもある。イエスは二人の弟子たちに「聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」(27節)、また、エマオに入って、弟子たちと「一緒に食事の席についたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」(30節)ところ、二人は「目が開け」(31節)、その人がイエスだとわかり、また、聖書について説き明かされたことも悟る……という次第である。
 このように、イエスが弟子たちともに食事をする行為と、ご自分の生涯、とりわけ、その死と復活が聖書によって預言されていることの実現であるという説き明かしの行為とが深く関連づけられている。復活したイエスは、弟子との一緒の食事とともに、ことばによる説き明かしをもって弟子たちにこの死と復活の意味を悟らせるのである。食事と教えとのつながりは、使徒言行録でも言及される。「イエスは……四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。そして彼らと食事を共にしていたとき」(使徒言行録1・3-4)、約束された聖霊を待ち望むよう命じるのである。また、異邦人コルネリウスの家でのペトロの宣教の中で「神はこのイエスを三日目に復活させ、人々の前に現してくださいました。しかし、それは民全体に対してではなく、前もって神に選ばれた証人、つまり、イエスが死者の中から復活した後、御一緒に食事をしたわたしたちに対してです」(使徒言行録10・40-41)と語る。聖書の預言の成就として自らの死と復活があかしされるとき、そこには弟子たちと共にする食事の言及がいつも並行してある。ヨハネ21章1-13節に記される七人の弟子たちに復活したイエスが現れたエピソードでも、パンと魚による食事が言及されている(13節)。
 このようにイエスの死と復活の意味についての説き明かしが、弟子たちとの食事とつながってなされていく、というところに、復活のリアリティ、神の国のリアリティのあかしがある。いうまでもなく、これは、感謝の祭儀(ミサ)の根源となる弟子たちの体験である。その記憶をもって「主の晩餐」(一コリント11・20)、「パンを裂くこと」(使徒言行録2・42)がなされていくことで、キリスト教の典礼は形成され、現在に至る。ミサのことばの典礼が、イエスによる聖書全体の説き明かし、その預言の成就としてイエスの死と復活を、今もいつも告げ知らせ、あかしする行為である。そして、弟子たちの真ん中に立って、「あなたがたに平和があるように」(ルカ24・36)と告げるこの食事は、感謝の典礼全体、とりわけ交わりの儀において受け継がれている。イエスの現存とそのことばは、現在も交わりの儀の中に受け継がれている。ミサが不断の過越の神秘の祝いであることをきょうの聖書朗読と表紙絵を通して味わいたい。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』復活節第3主日

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