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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年5月12日 主の昇天 B年 (白)  
イエスは彼らが見ているうちに天にあげられた (使徒言行録1・9より)

主の昇天
アラゴン王マルティンの聖務日課書挿絵
パリ フランス国立図書館 1400年頃

 西欧中世末期には、王侯貴族が美しく装飾された聖務日課書を作り、礼拝に勤しむという慣習が広まり、その挿絵がキリスト教美術の一つの舞台となっている。このアラゴン王の聖務日課書の挿絵にも、そのような王侯貴族の審美的な趣味が感じられる。とはいえ、主の昇天という使徒言行録1章1-11節(きょうの第一朗読箇所)が述べる出来事はドラマチックな様相を持つもので、古来、キリスト教絵画の主題として多彩に描かれてきている。マリアや弟子たちが画面の下に集まっているという構図はどれも大体似ているが、イエス自身が自ら天に向かって山を昇っていくように描くもの、神の右の手が上から出ていてイエスを引き上げるというように描くもの、この作品のように、イエスの全身が栄光の光背に包まれて天使たちによって天に上げられていくように描くもの、果ては、上を見上げる弟子たちの上にイエスの足だけを描くものなど。想像力の限りを使ってこの画題に向かっていった先人たちの工夫は多彩である。
 その中で、この表紙絵作品の特色として、イエスが地上から上げられる様子というよりも、イエスはすでに栄光の光背の中におり、万物の主、全宇宙の主としての尊厳をもって描かれている。左手に抱えられている球体は、全宇宙を示すものと思われる。この光背に包まれている部分の下に翼が描かれていて、このイエスのいる栄光の次元自体が天に昇っていくことを示している。両側にいる天使は、その様子を仰いでいるようでもあり、支えているようでもある。
 使徒言行録の1章12節では、「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た」とあるので、この絵が岩山のように山を昇天の場として描いていることのもとになっているだろう。そのもとに集まっている使徒たちの中にマリアがいる。マリアと向かい合っている使徒はペトロと思われる。このようにマリアと使徒たちが一緒にいるのは使徒言行録で、イエスの昇天の後、使徒たちがエルサレムに戻ってきて、「泊まっていた家の上の部屋に上がった」(使徒言行録1・13)とあり、そのあと11人の使徒の名前が述べられ、続いて「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア……と心を合わせて熱心に祈っていた」(同14節)とあることがもとになり、昇天の図では、しばしばマリアがいるかたちで描かれる。マリアと使徒のリーダーペトロが大きく描かれることで、教会というものが象徴されていると言ってよい。それは、いつも今も続くキリストと教会の関係の集約である。「聖書にあるとおり三日目に復活し、天に上り、父の右の座に着いておられます」(ニケア・コンスタンチノープル信条)、「天に昇って、全能の父である神の右の座に着き」(使徒信条)と信仰宣言で昇天のことが語られ続けているのは、今、教会の上におられる主との関係が定まった出来事という点で重要だからである。
 きょうの主の昇天の福音朗読箇所(B年)はマルコ16章15-20節で、一般にこれは、後から加えられた結びの一部とされている。そして、「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた」(19節)とほとんど信条に近いような、ある種、定型的な文言で記している。あとから教会による追加といわれても、教会が信仰宣言(信条)を通して大切に告知し続けているイエスの昇天は、重要な意味を有する。この日を祭日として教会が祝い続けている理由でもある。
 もちろん、昇天の出来事はこれだけで完結するのではなく、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」(使徒言行録1・8)とあるように、聖霊降臨と一体の出来事ある。そして、天使から「あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」(1・11)とあるように、終末の再臨にも関連づけられている。こうして、聖霊降臨からの地上における教会の活動と、その完成に向けての展望が開かれている。この聖霊降臨から終末の再臨までの時間の中で現代の我々も位置している。ミサ(感謝の祭儀)において具現される天にいるキリストとの交わりのあり方が、この昇天の出来事から始まっていることを思うとき、イエスの姿と、そのメッセージは、いっそう身近に感じられるだろう。イエスの昇天を見上げるマリアとペトロはじめ使徒たちの姿は、我々自身の姿である。
 このように、昇天の図は、一瞬の出来事の描写にとどまらず、不変の教会の姿を写し出しているものであることがわかる。感謝の祭儀(ミサ)の中でつねに具現される、天上の教会と地上の教会のキリストによる一致が定まる出来事として主の昇天を記念するとき、きょうの第二朗読箇所であるエフェソ書4章1-13節の内容が深く響く。さまざまな賜物を与えられているのは、キリストの体である教会(エフェソ4・12参照)を造り上げていくためであり、「ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです」(4・13)。このように人間として、そして信仰者としての成熟、成長への道が、イエスの生涯、とくにその死と復活、そして昇天を通して開かれているのである。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』主の昇天

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