本文へスキップ
 
WWW を検索 本サイト内 の検索

聖書と典礼

表紙絵解説表紙絵解説一覧へ

『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年6月2日 キリストの聖体 B年 (白)  
これは、わたしの体である。これはわたしの血である (福音朗読主題句 マルコ14・22、24より)

最後の晩餐 
ステンズグラス 
フランス シャルトル大聖堂  12世紀半ば

  キリストの聖体は、原語では「キリストの最も聖なる御からだと御血の祭日」という。感謝の祭儀(ミサ)の中心にある聖体の秘跡なので、聖体のことはいつもミサで祝われているともいえるが、前週の三位一体の主日と並んで、一年に一度、しかも四旬節~聖週間~復活節と主の過越の神秘を集中的に記念した季節を踏まえて聖体を主題とすることで、救いの歴史の中での感謝の祭儀と聖体の秘跡の意味をあらためて学ぶことができる。しかも、現在では、A年、B年、C年という三年周期編成の聖書朗読配分を通して大変、豊かな内容になっている。
 B年の聖体の祭日の福音朗読箇所は、マルコ福音書14章12-16、22-26節である。使徒時代には「主の晩餐」と呼ばれたミサ(感謝の祭儀)、その根源にある聖体の秘跡の制定がなされる場面である。福音朗読主題句は、「これはわたしの体である。これはわたしの血である」となっていて、祭日の原題に対応している。体と血という主題だが、他方、この日の三つの聖書朗読配分では「契約の血」もクローズアップされている。
 マルコが伝えるぶどう酒の杯についてのイエスのことば「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マルコ14・24)という告知の前提をなす旧約の出来事が第一朗読箇所によって想起される。出エジプト記24章3-8節の記述である。シナイ山のふもとで、モーセが主のことばを伝え、民が、「主が語られた言葉をすべて行います」と信仰宣言したのち、契約締結の儀に入る。焼き尽く献げ物と、和解の献げ物をし、その血の半分が祭壇に(つまり主に)、そして半分が民に振りかけられ、「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」(出エジプト24・8)とモーセが宣言する。古代イスラエルの民が神の民として明確になった出来事である。
 イエス・キリストは、この契約を乗り越える新しい契約の仲介者となる。最後の晩餐において予告されるのはまさにこのことである。モーセを超える指導者として、また、自分自身が新しい契約のための献げ物、すなわちいけにえとなる。パンについて「わたしの体である」と告げるところもその意味は含まれているが、ぶどう酒の杯についての上述のことばはより明確に語られている。そしてこのことは、第二朗読箇所のヘブライ書9章11-15節によっても明確に告げられる。キリスト教の教えの核心が語られる、きょうの三つの聖書朗読である。
 さて、表紙絵に掲げたステンドグラスは、その最後の晩餐の光景を幻想的に示す。食卓の中央にイエスがいる。右手を掲げているしぐさは、神の権威を示し、また祝福をも示す。聖体の制定にあたるパンと杯を掲げて語るという動作には見えないが、掲げられた右手のしぐさのうちに、それらすべてを読み取ることができる。ただ、この晩餐の光景をかなり劇的なものにしているのは、イエスの胸に寄りかかかる弟子と、左手でパン切れを手前の一人の弟子に差し出しているイエスのしぐさである。明らかにこれは、ヨハネ福音書13章21-30節をベースにしている。胸に寄りかかる弟子は、「イエスの愛しておられた者」(23節)と呼ばれるヨハネであり、手前にいる弟子は、イスカリオテのユダである。つまりこの場面は、「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」(21節)、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」(26節)を表現している。
 実際、中世の写本画の挿絵やステンドグラスが描く最後の晩餐の図で、パンと杯を掲げて聖体を制定していると考えられる光景を描くものは少なく、多くは、このヨハネ13章21-30節に基づくユダの裏切りの予告の食卓として描くものが多い。
 マルコ福音書の文脈でも、ユダの裏切りの企て(14・10-11)、過越の食事としての最後の晩餐の始まり(14・12-17)、ユダの裏切りの予告(14・18-21)、聖体の制定(14・22-26)と、イエスの制定行為とユダの裏切りの進展とが交互に叙述されている。そして晩餐の後、イエスはユダの裏切りの実行役として逮捕され、受難に向かう。最後の晩餐の間からすでに「多くの人のために」イエスの血が流される、自らがいけにえとなる行為がユダの介在によって始まっていることになる。そのように考えると、最後の晩餐の図においてイスカリオテのユダは、新しい契約のためのイエス自身の自己奉献の始まりを象徴する存在である。このあたりに見られる、神の計画の綾(あや)について、福音書本文を読み、イエスと弟子たち、そしてイスカリオテのユダ、さらにはペトロのことを考えながら黙想してみよう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』キリストの聖体

このページを印刷する

バナースペース

オリエンス宗教研究所

〒156-0043
東京都世田谷区松原2-28-5

Tel 03-3322-7601
Fax 03-3325-5322
MAIL