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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年8月4日 年間第18主日 B年 (緑)  
わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる(第一朗読主題句 出エジプト記16・4より)

マナを集める民  
詩編書挿絵  
ギリシア アトス パントクラトロス修道院 9世紀

 きょうの福音朗読箇所はヨハネ6章24-35節。先週読まれた6章1-15節の出来事のあと、その日の夕方の出来事(イエスが湖の上を歩く)を述べる16-21節に続き、翌日向こう岸に残っていた群衆が、イエスを探し求めるくだりからが24-35節である。群衆がイエスを見つけると、イエスは「朽ちる食べ物のためではなく、……永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」(6・27)と言う。その意味がなおわからない群衆は、イエスを信じるために“しるし”を求めて、先祖が荒れ野でマンナを食べた出来事を引き合いに出す(6・30-31参照)。それに対して、「わたしの父が天からまとこのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与える」(6・32-33)と告げ、「わたしが命のパンである」(35節)と自らのことを明かす。
 イエス自身が、「天から降って来たパン」、「命のパン」であるという重要なメッセージがなされる。このテーマがきょうと来週年間第19主日の福音朗読の内容である。そして、イエスの教えが聖体のことに展開するのが6章51-58節である(年間第20主日の福音朗読箇所)。こうして、天からのパンであるイエス自身とそのイエスが与えてくれるパン(「わたしが与えるパン」51節)のことが説き明かされ、我々が信じるイエスのこと、ミサの中で受ける聖体についての決定的な教えが与えられる。
 この「天から降って来たパン」には旧約時代における神の民の経験の中に前もってしるし(予型)が与えられている、その一つが出エジプト記のマナをめぐるエピソードである。それがきょうの第一朗読箇所となっている(出16・2-4、12-15)。もう一つのしるしであるエリヤの経験のエピソードは来週年間第19主日の第一朗読で読まれる。表紙絵は、その出エジプト記のエピソードを描く挿絵と本文の写本の場面である。
 出エジプト記では、神が天からパンを降らせるという出来事は、神の民の不平がきっかけになっていた。それに応えて、神が、うずらを飛来させたことがまず記される(出エジプト16・13。民数記11・31-34も参照)。そのあとに露が降り、それが蒸発すると「薄くて壊れやすいのもが大地に霜のように薄く残っていた」(出エジプト16・14)というくだりになり、16章31節では「イスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした」と具体的に描写される(民数記11・7-9参照)。ちなみにコエンドロは、英語名コリアンダー(タイ語名パクチー/中国語名シャンツアイ)で知られているものを参考に考えてよい。マナ自体についても植物学者の間で諸説あるが決定打はないようである(『聖書植物図鑑』大槻虎男著。教文館 1992年 94-95ページ参照)。旧約の訳で「マナ」、ヨハネ6章31節では「マンナ」と訳される元のヘブライ語は「マン」でこれについては「これは何だ」との連想による語源説があるのも興味深い。
 もちろん重要なことは、この「天からのパン」が神の恵みのわざの重要なしるしとして伝承され、詩編78においても(きょうの答唱詩編)、神は「彼らの上にマナを降らせ、天の小麦を食物として与えられた。神は豊かに食物を与え、人々は神のパンを食べた」(詩編78・24-25典礼訳)と歌われる(新共同訳「彼らの上にマナを降らせ、食べさせてくださった。神は天からの穀物をお与えになり、人は力ある方のパンを食べた」)。また知恵の書でも「あなたは天使の食物で民を養われ、神が用意された天のパンを、民は苦労することなく手に入れた。それはこの上なく美味で、だれの口にも合った」(知恵16・20)とも記される。
 神のいつくしみと愛、その恵みは、食べ物の供与で表現されるということは、人類にとってその生命の根底にかかわることであり、普遍的なしるしであるといえる。このような神の業(わざ)に対する記憶の伝承があってこそ、イエスが五千人(あるはい四千人)の群衆を少ない食べ物で満たしたことが神の不思議な業(奇跡)として伝えられ、またイエスが罪人(つみびと)とともにした食事が神の国の到来のしるしとして、福音書で伝えられるのである。もちろんこのことは、イエスが神にささげられる自分のからだと血をパンとぶどう酒に託し、それを記念する食事を主の晩餐としてキリスト者の共同体の根本的な行為にしたこと、つまり聖体の秘跡、感謝の祭儀を制定したことにもつながっている。我々が日々参加し、奉仕してささげるミサの背景に、荒れ野で、神に導かれ、養われた神の民の記憶が生き続けていることを、きょうのことばの典礼を通して黙想してみよう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』年間第18主日

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