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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年8月15日 聖母の被昇天 (白)  
いつの世もわたしを幸いな者と言うでしょう(ルカ1・48より)

神の母の眠り
テンペラ画
セルビア スポチャニ教会 13世紀半ば

 表紙絵は、東方教会で「神の母の眠り」と題される、聖母マリアの“死”を描くものである。その死は、絶対の死ではなく、マリアが天に上げられること、すなわち神によって受け入れられるまでの「眠り」にすぎないというマリア観が込められている。聖母の被昇天というきょうの記念の内容と、この「神の母の眠り」という主題はとても深く結びついているのである。
 聖母の被昇天とは、端的には、イエスの母マリアが人生を終えてから霊肉共に天に上げられたこと(=被昇天)を内容とするカトリック教会の教えであるが、その背景には、マリア崇敬の長い伝統がある。聖書がマリアの死について語ることはないが、古代教会の人々はマリアの生涯の終わりについて盛んに思い巡らしてきた。その際、つねに マリアの魂は神のもとで幸いを得ていると考えられ、そこから多くの伝説も生まれる。それを通じて、死後、マリアの体は腐敗せず、天に上げられたという観念が広まる。
 7世紀初め、東方教会では 8 月 15 日に マリアが死の眠りについたことを記念する祝日が生まれ、当初は文字通り「御眠り」(ギリシア語「コイメーシス」)の日と呼ばれたが、やがて「天に上げられたこと」(アナレープシス)を記念する祝日となる。西方教会でも7世紀末にこの祝日が受容され、「御眠りの祝日」(ラテン語「ドルミティオ」)と呼ばれたが、 8-9 世紀からは東方と同様「天に上げられたこと」の祝日として 「アスンプティオ」 と呼ばれるようになる。16世紀以降、マリアは霊肉ともに天に上げられたという信仰理解が一般的となり、しだいに被昇天の祭日は盛大なものとなる。1950年には、教皇ピウス12世により「マリアがその地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光に上げられたことは、神によって啓示された真理である」 と宣言される。
 中世初期からのマリア崇敬全般の高まりの中で、マリアの生涯の終わりや死後を描き出す、「御眠り」や「被昇天」、さらに「 聖母戴冠」といった画題の図像が発展して、これらはまとめて「遷化」(せんげ)(トランジトゥス)図像群と呼ばれるようになる。したがって、聖母の被昇天の日に、「御眠り」の図を鑑賞することは大変深い意味である。この祭日の源流に触れることになるからである。
 この13世紀半ばの聖堂壁画の描き方も、マリア崇敬の隆盛ぶりを窺わせる。マリアの死の床は美しく飾られており、真ん中に立つ主キリストが胸に白いマリアの姿を抱いている。その存在そのもの、その人格そのものが神に受け入れられていることの表現である。マリアの眠りの床は、天使たちや使徒たちによって囲まれている。その両側には、使徒たちをはじめ多くの人々が描かれている。とりわけ使徒たちは悲しみにくれているようであり、マリアの頭の近くに使徒団の先頭に立つ、白髪・白髭の男はペトロと思われる。マリアの足もとにいる二人の使徒は身をかがめつつ、何か差し出している。この図では判別しにくいが、一般には、ヨハネがしゅろの枝を、アンデレが吊り香炉を差し出しているとされる。伝承・伝説に基づく描法である。
 被昇天の福音朗読箇所は、ルカ福音書1章39-56節である。胎内に御子イエスを宿すマリアの訪問を受けたエリサベトは、「あなたは女の中で祝福された方です」(42節)と告げられ、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45節)とたたえる。それに応えて、マリアはその賛歌(=マリアの歌)の中で、「今から後、いつの世もわたしを幸いな者と言うでしょう」(48節)と、神によって恵まれた「幸い」を歌う。
 表紙図像において、眠りの床に横たわるマリアの重々しい姿は、その死の現実性を示しているが、主キリストがその側に立ち、マリアの魂を受け取り、抱いているというところに、マリアの被昇天という理解の内容が見事に表現されている。キリストとマリアの魂を包む白い光は、マリアに訪れた「幸い」の完成そのものであろう。その「幸い」の完成として被昇天の意味合いをこの「御眠り」の図とともに味わう日としたい。
 もちろん、このマリアの姿は、我々神の民、ひいては人類の目指す生き方の先駆であり、象徴である。マリア崇敬のうちにマリアに寄せられてきた希望や信頼は、我々自身の未来、将来への希求と願いを写し出す。そうした全人類にとっての救いの完成への待望の心をもって、マリアのことを考えることが求められている。マリアに対する崇敬の日というだけでなく、キリストによる救いの完成への待望の中に、マリアの生涯の終わりに対して教会が抱いてきた追想の伝統も統合されている。そのことを示すのが第1朗読箇所(黙示録11・19a; 12・1-6, 10ab)と第2朗読箇所(一コリント15・20-27a)である。すべての箇所を参考に、日本人にとって重要な終戦記念日やお盆とも重なる、この8月15日の黙想を深めていこう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』聖母の被昇天

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