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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年10月6日 年間第27主日 B年 (緑)  
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」 (創世記2・18より)
 
アダムとエバ  
ブロンズ浮彫 
イタリア モンレアーレ大聖堂 12世紀

 きょうの福音朗読箇所は、マルコ10章2-16節(長い場合である)。ファリサイ派の人の「夫が妻を離縁することは、
律法に適っているでしょうか」(2節)と、イエスを試すような質問に対して、イエスが天地創造の初めのことを思い起こさせて語る場面である。「神は人を男と女にお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」(6-7節)。――ここは創世記に基づく発言である。その上で「従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」という自身のメッセージを告げる。
 「神は人を男と女にお造りになった」という発言は、創世記1章27節を踏まえている。「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された」というところである。そして、後半の「人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる」(7-8節)は、きょうの第一朗読箇所=創世記2章18-24節の末尾を踏まえている。「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」(創世記2・24)である。具体的には夫による妻の離縁(追放)という具体的な問題に寄せつつも、創世記による人間の創造、その男と女による創造における神の意図をイエス自身の意志として権威をもって告げるところである。
 創世記では続いて3章で蛇の誘惑の話になり、最終的にアダムとエバがエデンの園から追放される(3・24)。
表紙掲載作品の浮き彫りは、楽園の木の間にいるアダムとエバを描くもの。この3章の経過の細かな展開のどこを表しているかを定かにはいえないが、一つだけ特徴があるのは、アダムもエバも、こちらを向いていることである。神のことばが聞こえて、神のほうを向いている様子である。そこに注目しつつ、二人とも、裸の体の一部を隠しているところには創世記3章7節の記述が連想される。蛇の唆しにあって、食べてはいけないとされていた園の中央の木の実を食べたあと、「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り」(7節)というところである。いちじくの葉をつづり合わせる描写はないが、少なくとも、裸の自覚の様子はある。二人の顔が、とくにエバの顔が心配気味な感じなのは、神からの問いかけを受けての対応を描いたものだろうか。
 作品の上にある文字は楽園追放を指しているので、この創世記3章の経過全体を表現するものということはできる。一般に人類の罪への堕落(原罪)と楽園追放という出来事は、キリスト教美術の初期からたびたび描かれている。この作品の場合、劇的展開の一瞬を描写するというよりも、神の問いかけの前に身を隠しつつ、さらしている一組の男女というところが帰ってシンプルに男と女としての人類の創造ということを考えさせてくれるだろう。
 創世記の記述は、人(男、アダム)に合う助ける者を造ろうと、彼のあばら骨から女を造ったという語りなどから、女を男の従属的な存在と考える人間観、社会観を表現するものというのが通例の解釈だったかもしれない。しかし、この点での再理解が今日では進んでいるようである。不可欠のパートナーとして、骨・肉への言及もそれほどまでの深い関係性であることの表現であろう。何よりも、二人は一体である、と語られる一体性がテーマになっている。男女ということに関しても、二人ということに関しても多様性が認め合われるようになっている今日でも人間は「独り」でいることはよくないと神から判断されている存在であるということについての深い諭しのある創世記の箇所であろう。このことは、人間において本質的な共同体性についての啓示である。
 一体性、そのための人間と人間の間の結びつきということは、そのもとに神の存在を信じなくては、その実現も自覚も成り立たないものなのだろう。それゆえに第二朗読箇所であるヘブライ書2章9-11節の教えが強く響いてくる。イエス自身が苦しみを通して完全な者とされ、多くの人を栄光へと導いていった。それが神、すなわち「万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであった」(ヘブライ2・10)。「人を聖なる者となさる方」(イエス)も、「聖なる者とされる人たち」(イエスによって救われる人々)も、「すべて一つの源から出ている」(同11)というところに、人間の共同体性、一体性の源である神に対する透徹した信仰的理解がみられる。生きた人間が生み出すさまざまな事象のもとに神がいること、神が源であり、人類の目指すところもそこ以外にないことについての教えがある。神の国への希求と、人間の一体性についての希望は裏腹なのではないだろうか。いずれにしても、人は皆、この作品のアダムとエバのように、いつも楽園の手前で神の問いかけにさらされているのではないだろうか。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』年間第27主日

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