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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年11月3日 年間第31主日 (緑)  
あなたの神である主を愛しなさい。隣人を愛しなさい(福音朗読主題句 マルコ12・30、31より)

玉座のキリスト
テンペラ画
キプロス リマソール
聖アンドロニコス・アタナシア教会

 きょうの福音朗読箇所は、マルコ福音書12章28節b-34節。あらゆる掟のうち第一の掟は何かを質問されたイエスが第一の掟として神への愛、第二の掟として隣人への愛を教える場面である。この重要な教えは、三つの共観福音書それぞれにあり、しかも、主日ミサの聖書朗読でも毎年読まれる。A年では年間第30主日の福音朗読箇所としてマタイ22章34-40節が読まれ、そこでは、マルコと同様に、最も重要な掟は何かと聞かれて、イエスは第一の掟として神への愛、第二の掟として隣人への愛を教えている。C年では年間第15主日にルカ福音書10章25-37節で、その始めの部分(25-28節)に、何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるのか、という問いかけに、神への愛と隣人への愛をまとめて教えている場面が来る。続いて隣人とは誰かという質問が続き、そこで、よいサマリア人のたとえを語るという構成になっている。
 いずれにしても、三つの福音書が共通して伝える神への愛、隣人への愛は、キリスト教の根本をなす教えでもあり、毎年必ず主日に告げられるということも重要な点であろう。
 きょうはマルコによる朗読にちなんで、キリストの姿を写し出す絵が表紙絵に掲げられている。律法の専門家と向かい合うイエスの姿を描く写本画もあるが、ここは、今、我々に向かって、愛の掟を告げる主イエス・キリストの姿、顔を仰ぐことが大切でもあるからである。玉座のキリストという画題の一つであり、神の右の座に着いておられる主キリストの姿には、同時に御父の威厳も備わっている。御父のみ心も反映されている御子キリストの像として鑑賞することができる。その姿、表情、まなざしとともに、神への愛、隣人への愛のメッセージを聴いてみよう。
 その顔は、威厳を感じさせつつも、冷酷ではなく慈愛に満ちている。右膝を前に突き出すような姿勢は、この絵のユニークな特徴ともいえる。我々の側に積極的に向かい合い、踏み込んでくる姿であり、左の手によって書面が示されている本も、前に突き出されている右手も、かなり立体的に感じられる。開かれた頁面には、ギリシア語で、ヨハネ8章12節にあるイエスのことばが記されている。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」である。
 きょうの福音朗読箇所では、質問をしてきた律法学者がイエスの教えに対して誠実に適切に答えたことに対して、イエスは「あなたは、神の国から遠くない」(マルコ12・34)と言う。この問答の中に、神の国への招きが含まれていたことが感じられる。今掲げたヨハネ8章のことばにも、“世の光であるわたしに従いなさい。そうすれば命の光を持つことできる”という招きがある。二つの愛の掟をまとめて示すルカ10章25節でも、この愛の実践が永遠の命を受け継ぐことになる、という教えになっている。神の国という政治的な表象で語られることが、ルカやヨハネにおいては、「命」「永遠の命」として教えられていることが、これらから浮かび上がってくる。
 神への愛、隣人への愛を最も重要な掟として語るイエスの姿自身が愛に満ちていたことであろう。単にことばで言い渡される掟にとどまらず、その姿は、愛することの重要性を悟らせる無言の力が秘められていたにちがいない。そのようなことに目を向けるためには、描かれたキリスト像を鑑賞する意味があろう。愛の掟の前提、というよりその根源には、限りない神の愛がある。そのことを悟り、それに服することを求めているのが、掟にほかならない。愛を行うとは、何もないところから人間が自分自身の意志と努力によって行えることではない。限りなく注がれている神の愛に誠実に応答することと、それに自らをゆだねること、神の前にともにあることの自覚の上に立って人間同士が互いに隣人として接し、愛をもってかかわり合うことが求められているにほかならない。それゆえに、ヨハネ福音書は、愛の掟の表し方として、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたもたがいに愛し合いなさい」(ヨハネ13・34; 15・12も参照)というものになっているのであろう。
 その愛の模範としてのイエスの姿をきょうの第二朗読箇所のヘブライ書7章23-28節は、大祭司という表象で語っている。「この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります」(25節)、「このように聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとって必要な方なのです」(26節)。
 この記述は、新しいミサの式次第の集会祈願の結び「聖霊による一致のうちに、あなたとともに神であり、世々とこしえに生き、治められる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン」が示すキリスト像ともよく対応している。表紙絵が示すキリスト像とも響き合う、これらの教えであり、我々の祈りである。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』年間第31主日

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