2024年11月17日 年間第33主日 (緑) |
その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する(ダニエル12・1より) 大天使ミカエル イコン ギリシア アテネ ビザンティン美術館 14世紀 きょうの表紙絵は、第一朗読箇所であるダニエル書12章1-3節の冒頭「その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する」(1節)にちなんで、大天使ミカエルを単独で描くイコンを掲げている。 ミカエルについてダニエル書では、10章13節、21節にも言及されていて、ダニエルが幻視の中で聞いた言葉の中で、大天使長ミカエルが助けてくれることを約束するという文脈である。そして12章では、はっきりと、「その時」(時の終わり)に、苦難の民を大天使長ミカエルが守護してくれることが明言される。それは、神に従う人にとっては救いであるが、悪人にとっては裁きであり、「ある者は永遠の生命に入り、ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる」(2節)と告げられる。 このような趣旨は新約聖書の黙示録の20章11-15節にも通じている。実際このダニエル書12章1節で「あの書に記された人々は」という表現があり、いわゆる「生命の書」ないし「命の書」(詩編69・29; イザヤ4・3参照)のことが暗示されているが、「命の書」は黙示録20章12節でも言及されるからである。いずれにしても終末における救いの完成と最後の裁き(審判)についての教えがここにあり、またダニエル書における「永遠の生命」への言及は、新約聖書における復活の思想に連なるものであるということもよく知られている。 きょうの福音朗読箇所マルコ13章24-32節との関連でいえば、マルコ13章3節からイエスによって語られる終末のしるしや大きな苦難への言及を踏まえて、「そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る」(13・26)と予告される。「人の子」の来臨とは、主キリストの再臨のことにほかならない。ダニエルの預言における「大天使長ミカエルが立つ」ということは、いわば主の再臨を旧約の文脈で前もって示すしるし(前表、予型)として、きょうのミサの聖書朗読では位置づけられている。 さて、「ミカエル」についてはこの名は「誰が神のようであろうか」という意味をもっている(当日の『聖書と典礼』の注参照)。教会では9月29日にラファエル、ガブリエルとともに三大天使として記念される。欧米人の名前マイケル(英語)、ミゲル(スペイン語)、ミシェル(フランス語)ミヒャエル(ドイツ語)などもよく親しまれている。美術においては、竜(悪魔・サタンなど、神に逆らうものの象徴)に打ち勝つ戦士のイメージで描かれることも多い。黙示録12章7-8節「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった」を典拠とする図像構成である。大天使として、神とは区別される存在であるが、きわめて救い主キリストに近いイメージをもって信者の心に留められる存在となっている。 表紙絵のイコンは、そのような戦いの場面ではなく、ミカエル自身の半身像である。宇宙を象徴する球を左手にかえ、大天使の「大」にあたるARXという文字記号(モノグラム)が記されている。翼の上にも文字が二段になって描かれていて「大(天使)ミカエル メガス タクシアルク」のギリシア語文字が記される。ギリシア語の「タクシアルク」とは軍隊階級用語で現代では「准将」と訳されるが、ここでは一定の軍団を率いる戦士長というイメージである。ミカエルの肖像は、青年男子の像、髭のない姿で描かれるのが慣例で、トゥニカ(内衣)とパリウム(外衣)をまとう。杖は権威のしるしである。キリスト像にも通じていることは感じられよう。そして、実際、きょうの聖書朗読箇所は、上述のように、ミカエルの登場がキリスト(「人の子」)の来臨の前表(予型)として位置づけて示している。 このように見るなかで、大天使長ミカエルを絶対の強者、勝者とのみのイメージで考え、その意味がキリストにも通じている、というふうに考えていくと、それはやはり一面的なものとなろう。ダニエル書の朗読箇所も、マルコの朗読箇所も「苦難」に言及している。民が体験する苦難の果てに、守護者であるミカエルの到来、 救い主であるキリストの来臨があるという文脈で、この裁きでもあり、救いでもある時の到来が予告されているのである。そしてキリスト自身、このような方として現れる前に、自分自身「唯一のいけにえとして献げる」というプロセス、受難のプロセスがある。このことをしっかりと思い起こさせるのが、きょうの第二朗読箇所のヘブライ書10章11-14、18節である。「キリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠の神の右の座に着き、その後には、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです」(ヘブライ10・13)。「感謝の祭儀」の究極の祭司であるキリストは、このようにして「待ち続けておられる」方であり、その神の国の完成の時に向けて、我々も「主よ、あなたの死を告げ知らせ、復活をほめたたえます。再び来られる時まで」(奉献文における会衆の記念唱の一つ)と告げ、祈り続けるのである。 ※表紙絵のキャプションに誤りがありました。お詫びして訂正いたします。 (誤)その時、大天使ミカエルが立つ。 → (正)その時、大天使長ミカエルが立つ。 |