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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年11月24日 王であるキリスト B年 (白)  
わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た(ヨハネ18・37より)

ピラトの尋問
ロッサーノ朗読福音書
イタリア ロッサーノ大司教館付美術館 6世紀後半

 教会の典礼書に「朗読福音書」というものが誕生する、6-7世紀の時代の貴重なものの一つが、表紙絵に掲げられているロッサーノ朗読福音書である(所蔵先にちなむ呼称)。当時使用されていた紫羊皮紙というものに本文も絵も描かれている。表紙絵が示す場面は、上段が、きょうの福音朗読箇所ヨハネ18章33b-37節にちなむ、ポンティオ・ピラトとイエスとの対面場面、いわゆるピラトの尋問の場面なので、この関連で掲載されている。
 下段の絵も気になるかもしれない。イスカリオテのユダが祭司長たちに金を渡そうとしているところ、そして(向かって右側に一部欠損があるが)ユダが首をくくって自殺するところまで描かれている。この経緯を語るのは、マタイ27章3-10節なので、この上下段の全体は、マタイ福音書を踏まえる図像と見ることができるかもしれない。ピラトの尋問から判決に至る流れを叙述するのはユダの自殺のくだりに、続くマタイ27章11-26節である。ただし、この流れは、他の福音書も共通である(マルコ15・2-15; ルカ23・3-5,13-25; ヨハネ18・33~19・6)である。
 王であるキリストの祭日の主題にも直結する「お前がユダヤ人の王なのか」というピラトの問いは、四福音書にすべてに出てくる(マタイ27・11; マルコ15・2; ルカ23・3; ヨハネ18・33)。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書は、この問いかけに対するイエスの答えは同じである。「それは、あなたが言っていることです」(箇所同上)。これに対して、ヨハネはこの問いの直接の答えは異なっている。「あなたは自分の考えで、それを言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか」(ヨハネ18・34)。いったん、ピラトの問いかけの質を逆に問いかける反応である。ピラトの答えは、少しずれている。またそれに対して、イエスは、「わたしの国は、この世には属していない」(36節)という答え方になっている。ここもピラトの答えとは少しずれている。もしこの世の国であるならば、部下がユダヤ人に引き渡されないよう戦っただろうと、地上の国同士を仮想したかたちで、暗にこれを否定する言い方である。ここには、今だれも部下が抵抗せず、自分がユダヤ人に引き渡されるのは、自分とその処遇(十字架刑)がこの世に属さない国のあかしである、ということも含んでいる。
 続いて、ピラトは、「それでは、やはり王なのか」(37節)と聞くと、イエスは共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)と同様の答え方をする。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです」。それに続けて、「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た」(同)と発言する。これもピラトの質問をはるかに超えた答え方である。ここに、このようなピラトの尋問が、やがて判決に至る、十字架での死が決定づけられるプロセスである、と同時に、イエスが神の国をあかしするために来たこと、そのあかしそのものであることが明らかにされるというプロセスでもある。言い換えれば、イエスが王であること、イエスが王として治める国のあかしがここにあるということになる。
 ヨハネ福音書の展開は一瞬、唐突でもある。「わたしの国は、この世には属していない」こととの関連で、「わたしは、真理について証しするために生まれ、そのためにこの世に来た」(37節)ということなので、「わたしの国」は「真理」という面からも説き明かされていることになる。この「真理」という語は、我々にはどうしても科学的な真理のイメージで考えてしまうが、聖書の文脈での「真理」という語を考えなくてはならない。それは聖書のヘブライ語にさかのぼることになる。それは「エメト」という語で「真理・真実・まこと」を意味する名詞、関連する名詞「エムナー」は「確信・信頼」、派生する形容詞「アァマーン」は「信頼できる・頼りになる」という意味である。さらにここから派生する副詞が「アァメーン」つまり「アーメン」である。「確かに・本当に・まことに」を意味する語で、典礼の祈願や信仰宣言に対して会衆が告げる「アーメン」に他ならない。科学の真理という意味ではなく、神と人の真実の関係を意味するのがここでの「真理」である。この意味での「真理」の用法は、すでにヨハネ福音書の1章にあった。「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(ヨハネ1・17)という文である。
 きょうの第二朗読箇所である黙示録1章5-8節に二回も「アーメン」が出てくる。神の民が心を一つにして叫ぶ「アーメン」は、直前で告げられる祈願や信仰宣言への同意であると同時に、キリストを通しての神と人の真実の関係、神の国、王であるキリストのあかしそのものである。そのように心を込めて「アーメン」と告げていこう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(B年)●典礼暦に沿って』王であるキリスト B年

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