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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年12月8日 待降節第2主日 C年 (紫)  
「人は皆、神の救いを仰ぎ見る」(福音朗読主題句 ルカ3・6)

洗礼者ヨハネ 
テンペラ画  
シエナ キージ・サラチーニ宮殿 15世紀

 表紙絵は、きょうの福音朗読箇所ルカ3章1-6節では洗礼者ヨハネの登場が語られる。それにちなんでヨハネを描く15世紀の絵が掲げられている。洗礼者ヨハネは、イエスの到来を予告し、また既に来ていることを指し示し、そして、その生涯の意味さえもあかしする存在である。メシア到来の予告と、現存の指し示しにあたるヨハネの姿は、この絵でも、右手の指が暗示しているように思われる。そしてイエスが救い主であること、十字架上で自分をささげることによって人類のあがないを果たす方であることは、この絵のヨハネの左手に握られている先端が十字架型の杖が示す。またその左手から繰り広げられる帯の文字は、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(ヨハネ1・29)、「見よ、神の小羊だ」(同1・36)の文言略記(ECCE ANS)である。その意味では、ここはヨハネ福音書もベースになっている。
 洗礼者ヨハネの登場、イエスが彼から受けた洗礼の出来事は、四つの福音書が共通して伝えるものだが、その言及の仕方には違いが現れる。マルコ1章3節での預言者の引用句は、「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」(イザヤ40・3、さらにマラキ3・1参照)となっており、並行箇所マタイ3章3節では「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ』」、ヨハネ1章23節では、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と」となっている。これらに比べて、ルカ3章4-6節は、他の福音書がイザヤ書40章3節の引用でとどめているところを、さらに4、5節まで引用に加えているというところに特徴がある。その末尾イザヤ書40章5節の「主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る」が、きょうの朗読箇所の末尾ルカ3章6節の「人は皆神の救いを見る」にあたる元の表現である。このように、ルカにおける洗礼者ヨハネの登場は、「主の道を整え…よ」と救い主の到来の準備の呼びかけのみならず、すでに救い主が現れていることのあかしにもなっている。
 このようなルカの特徴は、来週の待降節第3主日(C年)の福音朗読箇所ルカ3章10-18節にも現れるがそれについては来週の解説で考えよう。
 いずれにしても、ルカにおいては、洗礼者ヨハネの姿は、こうして既に全面的にイエス・キリストの光の中で思い起こされ、イエスの福音宣教の始まりがここにあると思えるほどに、明解である。そのような洗礼者ヨハネ像には、きょうの表紙絵のヨハネがよく合っている。イエスの福音がヨハネの姿を通してすでに響いている。もちろん、そうでありつつも、右手の指は上を指し示し、左手では、イエスの十字架に至る生涯を大切に握りしめているようでもある。
 さて、待降節主日の福音朗読の展開をあらためて考えてみよう。「待降節は二重の特質をもつ。それはまず、神の子の第一の来臨を追憶する降誕の祭典のための準備期間であり、また同時に、その追憶を通して、終末におけるキリストの第二の来臨の待望へと心を向ける期間でもある」(「典礼暦と典礼暦年に関する一般原則」39項)と述べられているこの後半の意味合い(=キリストの第二の来臨の待望)がまず待降節第1主日で主題化された。
 待降節第2主日、第3主日は、洗礼者ヨハネによるイエスの到来へのあかしに集中している。神の子であり、救い主であるイエスの登場を予告し、準備する預言者としての洗礼者ヨハネがクローズアップされる。終末における主の来臨への待望の中で、いわば救いの歴史を現在から逆に遡り、イエスの登場そのものを準備した洗礼者ヨハネが思い出されるという構成である。
 やがて、いよいよ待降節第4主日では、イエスの誕生の直前の出来事が想起され、主の降誕でイエスの誕生、その生涯の始まりが明確な主題となる。そしてこの待降節~降誕節という一続きの季節が主の洗礼の祝日で締めくくられることを考えると、この季節における洗礼者ヨハネとイエスとの関係性の重要さがより深く感じられてくる。
 ルカ福音書自体、洗礼者ヨハネの誕生とイエスの誕生を関連づけながら述べることに注意を払っている。その文脈に即せば既に、イエスの誕生において救い主の現れ、約束された救いの実現が十分に語られているので、それが洗礼者ヨハネの登場に関するイザヤの預言の引用にも、そしてその活動の描き方にも反映されていると言えるのだろう。このことは次週の箇所にも関連する。
 ちなみに、きょうの第1朗読箇所のバルク書5章1-9節自体が、すでに救いの到来を語っている。「神は天の下のすべての地に、お前の輝きを示される」(3節)。「お前は神から『義の平和、敬神の栄光』と呼ばれ、その名は永遠に残る」(4節)。待降節は(原語のラテン語アドベントゥスAdventusが示すように)まさしく、救い主(の再臨)を待ち望みつつ、その第一の到来(地上への降誕・顕現)の事実を前にして、喜びと希望を新たにする季節である。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』待降節第2主日 C年

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