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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2024年12月25日 主の降誕(日中) (白)  
言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた(ヨハネ1・14より)

主の降誕
ハインリッヒ2世朗読福音書 挿絵
ミュンヘン バイエルン州立図書館 11世紀初め

 表紙絵は、11世紀の写本画挿絵の降誕図である。昨日の夜半の表紙絵の近代的な描法の絵に比べると、すべての要素が縦型の平面枠の中に配置されている。それゆえ、光景のリアルな想像というよりも、聖書と照らし合わせながら、それぞれの要素の描き方を味わうという意味では、視覚というより「ことば」優位で構成されていると言える。
 画面全体の中央にいるのは、幼子イエスである。その描き方は、現代の我々からみれば驚くべきもので、赤ちゃんというより既に少年である。ここに一つの意味があるとすれば、ここには単に人間の赤子の誕生ではなく、神の御子の降誕があるということなのかもしれない。写本画の降誕図の一つの定型表現である。
 (向かって)右側にマリア、左側にヨセフが配置されている。産後、寝床にいるはずのマリアを描くのに、寝床ごと縦に描くのは、遠近法とか写実表現ということにこだわらない中世の自由な発想といえるのかもしれない。そのマリアの右手が異様に大きく、しかし、しっかりとイエスを指し示ている。その目も同じである。それは、左のヨセフも同じで、やや神妙な表情を示しながらも目と手でイエスを指し示している。飼い葉桶が美しい寝床のように表現され、その上に半身を起こしているところにも神の御子の降誕らしさが見える。そのことをヨセフとマリアはしっかりとあかしし、あたかも救い主の地上世界への登場を二人が門のようになって示しているようにも見える。
 その幼子の下に半身を現す天使と右上の二位の天使たちも、やはり救い主である御子を指し示している。幼子の下の天使はルカ2章9節に登場し、救い主の誕生を告知する「主の天使」を、また右上の天使たちは、ルカ2章13節で、この天使に加わる「天の大軍」を示していると思われる。
 飼い葉桶を覗き込むろばと牛も同じである(ろばと牛については夜半の表紙絵解説を参照)。
 天使による幼子の礼拝、賛美については、やはり夜半の福音朗読箇所に含まれるルカ2章10-11節、14節を参照し、ここでも味わうのがふさわしい。ろばと牛がいる建物は、ベツレヘム、左上(左奥)の城壁はエルサレムを示している。このようにルカによる降誕の叙述の要素(ろば、牛はイザヤ書から来る要素)を図像化し、それを一つの画面の中に構成するという写本画の特色がよく出ている。幼子を中心にすべての要素がそこに集中するように配置されているというところは意図的でもあり、見た目にもバランスが感じられ、神の計画の実現にみられる調和の美を感じさせる。
 そしてこの絵でさらに印象深いのは、背景が幾つかの色彩の層になっているという点である。マリヤとヨセフ、幼子の寝床がある空間は、金色、まぎれもなく神の栄光を表す色である。その下の層は緑。地上の生命空間をイメージさせる。まさしく地上に神の栄光が現れているのである。金色の空間は、濃い青、その上は空色。この青系の空間は神の次元である天、そして聖霊の息吹の表現であろう。金色とその上の青の鮮やかな色合いに、降誕の出来事に満ちている神のいのちのすべてが強調されている。
 さて、このようなある種、中世の定型的な降誕図とともに、きょうの降誕・日中ミサの福音朗読箇所ヨハネ1章1-18節を味わってみよう。御子を「神の言(ことば)」として述べる重要な箇所である。その「言(ことば)」は神であり、その内に命があり、それは人間を照らす光である(1-4節参照)。この「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」(14節)。表紙絵全体が闇のない明るさにあり、金色と青色で神の栄光とその聖霊の満ちあふれが感じられることと響き合う。
 またルカにちなむであろう天使たちの表現についても、きょうの第二朗読箇所であるヘブライ書1章1-6節とともに味わうことが大切である。「御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです」(4節)、「神はその長子をこの世界に送るとき、『神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ』と言われました」(6 節)というところである。天使に礼拝される「神の長子」というところが、この少年風の幼子の姿で表現されているのかもしれない。
 いずれにしても、きょうの福音朗読箇所の主題句が示すように、「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た」(14節)が降誕祭が祝う核心となる神秘である。「肉」という語に地上世界、被造物、人間……すべて移ろいやすい存在のすべてが意味されている。それはまぎれもなく救いの実現であった。第一朗読箇所のイザヤ書52章7-10節はその喜びを力強く歌う(答唱詩編の詩編98・1-5もそれに連なる)。まさしく、「地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ」(イザヤ52・10)ことができるようになっている。我々の信仰の原点にある感動、喜びを、表紙絵作品が醸し出す明るさとともに分かち合い、それをさらに多くの人に告げ知らせていくための原動力にしていこう。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』 主の降誕(日中)

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