2025年2月2日 主の奉献 (白) |
「わたしはこの目であなたの救いを見た」(福音朗読主題句 ルカ2・30より) 幼子イエスの神殿奉献 ケルンで作られた朗読福音書 ブリュッセル王立図書館 1250年 2020年以来、2月2日の主の奉献の祝日が日曜日になっている。主の奉献とは、きょうの福音朗読箇所であるルカ2章22-40節による。律法の定め(レビ12・1-4)に従い、生まれた男子の清めの40日が過ぎたあと、エルサレムの神殿にささげ、聖別を受けることになっていたものである。両親(マリアとヨセフ)は幼子イエスをエルサレム神殿の境内に連れて行ったとき、シメオンという信仰深い人が幼子のうちに救い主を見て、賛美するという出来事である。シメオンは、聖霊によって主が遣わすメシアに会うことが予告されていた(ルカ2・25-26参照)。シメオンに続き、女預言者アンナも登場し、この幼子のゆえに神を賛美し、救い主であるこの幼子のことを告げ知らせる(同2・36-37参照)。 このようなエピソードも、幼子が救い主であることのあかしであることから、降誕節のモチーフのもう一つの展開と考えられる祝日が形成される。エルサレムでは4世紀末に既に祝日があり、コンスタンティノポリスでも6世紀の半ばには祝日があった記録がある。これらの場合、東方では古くは降誕祭の日とも考えられていた1月6日(後には主の洗礼を祝う日となる。西方では主の公現)から40日後として2月14日に祝われていた。そして祝日の名称も、幼子イエスとシメオンの出会いを中心にするために、「出会いの祝日」と呼ばれた(ギリシア語「ヒュパパンテー」)。ルカ福音書の中の「わたしはこの目であなたの救いを見た」(2・30)がここの出会いを象徴する。この祝日が5、6世紀に西方に受容され、こちらでは降誕祭の12月25日から40日後として2月2日に祝われるようになる。中世には、マリアの清めの祝日とみなされていったが、現代の典礼刷新は、古代の形成の趣旨に基づき、降誕節の主題に関連する主の祝日として位置づけられている。 この祝日の定着とともに、主の神殿奉献の場面は絵画でもひんぱんに描かれるようになる。13世紀のこの朗読福音書挿絵も、典型的な構成を示している。マリアからシメオンに幼子が手渡される瞬間を、この絵は描きとどめていると言ってよい。ただいくつかユニークな点がある。普通はマリアがシメオンに手渡そうとしているとき、幼子はシメオンのほうを向くかたちで描かれることが多いが、ここでは、シメオンがマリアに幼子を返しているような光景である。また、この絵では、シメオンの後ろに壮年男性がおり、マリアの後ろにもう一人女性がいる。ふつうは、マリアの後ろにヨセフが、そしてシメオンの後ろにアンナが配置されるが、ここはそうした配置構成がとられていない。むしろ、イエス以外にはマリアとシメオンの姿だけが全身描かれているので、ここでの強調は、マリアとシメオンと、そしてもちろん中央の幼子イエスに置かれている。もし、マリアがシメオンに手渡そうとしているのに、幼子がマリアのほうを向いているとしたら、人間的な赤ちゃんの母親への心情を色濃く表現する様子とも見受けられる。このような描き方のニュアンスに添って、この場面の中身に想像を巡らすこともよいだろう。 むしろ味わうべきは、シメオンの表情の厳かな様子、そして多くの絵で共通の描き方だが、布で覆われたシメオンの両手であろう。神の子であり救い主である幼子への畏敬がこれらによって表されている。シメオンは、「これは万人のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです」(2・31-32)と神をたたえて言う。このことばの中に、イスラエルの民だけでなく、万人の救い主であることが既に告げられている。このことは、本来は、イエスの十字架上の死と復活によってこそ明らかにされることであるが、その内容が、この神殿奉献の場面で早くも予告されているとも言える。神殿でささげられる姿、信仰深いマリアとシメオンによって高く掲げられた幼子イエスの姿は、十字架上でささげられるイエスの姿を暗に予告するものとして描かれていると考えることは的外れではないだろう。 |