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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2025年3月9日 四旬節第1主日 C年 (紫)  
イエスは、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた (ルカ4・1-2より)

悪魔の誘惑を受けるイエス
オットー三世朗読福音書
バイエルン国立図書館 10世紀

 きょうから四旬節の主日の配分が始まる。第一主日はABC年ともに、イエスが荒れ野で40日間、悪魔から誘惑を受ける場面が読まれる。その誘惑に打ち勝つイエスの姿が、教会における四旬節の40日の模範となっていることがこの第1主日に提示されるのである。
 表紙絵のオットー三世朗読福音書の挿絵では、イエスの洗礼の場面に続いて、三つの誘惑がそれぞれ具象化されている。悪魔の風体がかなり詳細に描かれているが、背に翼があり、権能のしるしとして杖を抱えている。天使と似た要素であることが興味深い。神に従うことを呼びかける使い(天使)に対して、神に逆らうことへと誘惑する逆の意味の使いであることが示されているようである。いわゆる堕天使としての悪魔といった考え方の反映と言えるのかもしれない。
 三つの誘惑のそれぞれを福音朗読箇所ルカ4章1-13節と対照させながら見ていこう。右上の図は、まさしく、「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ」(3節)に対して、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」(4節)と、申命記8章3節のことばをもって対応するイエスの姿を描いている。その表情には叱りつけるような様子は見られず、むしろ、慈愛に満ちている。淡々と神のことばを告げている、という落ち着きが感じられるのではないだろうか。
 左下は、ルカの叙述では、4章9-12節の第三の誘惑である。並行箇所のマタイではこれが第二の誘惑として述べられるので(マタイ4・5-7)、順番としては、この絵はマタイに従っている。この誘惑は、悪魔がイエスをエルサレム(マタイでは「聖なる都」)に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ」(ルカ4・9)と誘惑する。本当にそうなら、天使たちが守るだろうと語る。絵は、エルサレムという都の中から姿を現すイエスが悪魔に答えを告げる光景として描いている。悪魔が都から少し離されて描かれていることも興味深い。イエスは「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」としてここでも申命記6章16節のことばに基づいて答えるが、絵ではまさしく悪魔に向かってたしなむよう告げている様子である。
 最後に右下の場面では、ルカでは4章5-8節の第二の誘惑にあたる。「悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた」(5節)とあるがややわかりにくい。並行箇所のマタイ4章1-11節では、第二の誘惑であり、そこでは「悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて」(8節)とある。山という具体的な言及があるで、絵はこれをヒントにしているのだろう。ただし、「高い山」という雰囲気はなく、小高いところに二位の天使たちが一緒にいる。悪魔は少し低いところで、外(下)のほうに歩みだしながら「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう」(ルカ4・6)と告げているようである。それに対して、イエスは手を悪魔に向けているが、顔は真正面、すなわちこの絵を見る我々鑑賞者自体に向かっている。この描き方が強いインパクトを放つ。イエス自身もとても大きく、高い山にいる主として力を感じさせる。ここでの答えは、「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」(同4・8)である(こ箇所も申命記6・13、10・20などに基づく。)
 他の二つの答えは「人はパンだけで生きるものではない」(ルカ4・3)、「あなたの神である主を試してはならない」(同4・12)という否定形ベースの答えで、これら二つはこの絵では悪魔に向かうことばになっている。それに対して、第二の誘惑(ルカの場合)に対するイエスの答えのことばは積極的な内容の「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」(同4・8)であり、それが我々鑑賞者に向かうことばとして描かれて入る(このことばに対しては、きょうの第一朗読箇所=申命記26・4-10も参照)。ここには画家の解釈の反映があるのであろう。それは、我々の受けとめ方に対しても、大きな示唆となるのではないだろうか。申命記のメッセージがイエスの答え方を通して、我々の父である神に対する、そしてイエス自身に対する信仰と信頼、忠実への呼びかけとなっていくのである。
 そうであっても、この絵が描くイエスはその表情が明るく、厳粛というよりも、慈愛や優しさを感じさせるのが特徴である。イエスのことばの背景にある申命記では6章4-5節にあの重要な掟が告げられる。「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」。イエスの悪魔の誘惑に対しても、この精神がベースにあった上で答えられており、結局、悪魔の誘惑に対して打ち勝つのは、徹底した神への愛である、というメッセージが流れていると言えるだろう。そのことを気づかせてくれるような、この絵の中のイエスの姿である。四旬節は、神の愛に応えて我々も神を愛し、その愛のうちに、隣人を愛することを呼びかけられている季節である(ルカ10・25-37=今年の年間第15主日の福音朗読箇所=参照)。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』四旬節第1主日 C年

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