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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2025年3月16日 四旬節第2主日 C年 (紫)  
「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」 (ルカ9・35より)

主の変容
シリア地方で作られた典礼用聖書
バチカン図書館 13世紀初め

 主の変容を描く、13世紀の東方教会で作られた典礼用聖書の挿絵である。四旬節第2主日で毎年読まれるイエスの変容の出来事を表すもの。主の変容を伝える三つの福音書ともに、三人の弟子(ペトロとヤコブとその兄弟ヨハネ)を伴っていること、変容のイエスの両側にモーセとエリヤが現れたことを語る。A年の四旬節第2主日の福音朗読箇所マタイ福音書17章1-9節によると、三人の弟子を連れて高い山に登った(1節参照)「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(2節)とある。
 この山の描き方は作品によって多様であり、この写本画ではイエスが立つ山と、モーセとエリヤが立つ山がそれぞれ別々の山のように描かれている。また「服は光のように白くなった」と描写されるイエスの姿もここでは、衣の襞(ひだ)を描く赤が目立っている。衣の地の色は白かもしれないが、全体として、赤の色がむしろ、神の栄光の輝きを受けていることを表現しているようである。イエスの姿を包むかのような光背の青がまた印象深い。イエスが霊的次元の方であること、聖霊がみなぎる方であることの表現として味わってよいだろう。
 変容の場面ではモーセとエリヤが登場する。多くは(画面向かって)左側がエリヤ、右側がモーセとされる。モーセは旧約の律法を、エリヤは預言を代表するとともに、それぞれが新しい神の民の指導者であり、自身が神のみことばであるキリストをあらかじめ示す存在(予型)である。しかも、それぞれに40日という象徴を伴う人物である。モーセにとっての40日は、シナイ山で契約が結ばれたあと、一人山に主の栄光を象徴する「雲」の中に入って行き、「四十日四十夜山にいた」(出エジプト24・18)。「四十日四十夜」はモーセが主とともにいた特別な時間を示すものとなっている。出エジプト記34章では、戒めが再び授与されたとき、モーセはシナイ山上で「主と共に四十日四十夜、そこにとどまった。彼はパンも食べず、水も飲まなかった。そして、十の戒めからなる契約の言葉を板に書き記した」(出エジプト34・28)とある。エリヤも神の山ホレブに向かう旅路での試練の中、天使からパン菓子と水が恵まれ、それに力づけられて、「四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた」(列王記上19・8)。そこで、主の声を聞き、新たな派遣を受けることになる。
 この二人がイエスの変容の場面に現れているというとき、彼らが出会った主なる神がまさにイエスにおいて現れていること、イエスが特別な神の子であることのあかしをする存在である。まさしく「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」(ルカ9・35)という神の声は、モーセやエリヤに与えられた神との出会いの恵みの完成を意味している。「四十日四十夜」は地上に生きる人間が神と出会うために自らの身を整え、神に仕える者として新たに派遣されるためのいわば鍛練の時間を意味していることになる。これは、我々にとっての四十日、すなわち四旬節の意味を深く示している。今年のカトリック教会のテーマに沿っていえば、これこそ+が恵みを待ち望む、希望の旅の時間と言えるだろう。
 新約の神の民となるべく、今、イエスの変容のときに、神による鍛練の時間に入るのが、三人の弟子たちである。ペトロ、ヤコブ、ヨハネの配置やその描き方も絵画によってさまざまである。この写本画の場合、(向かって)左側がペトロ(白髪、白髭が特徴)、反対側の右側がヤコブ、真ん中の、より若く描かれる弟子がヨハネであろう。それぞれに変容の出来事に対する驚きや畏れを示している。重なる岩間に身を置く弟子たちは、地上の世界に生きていく彼らの境涯を感じさせる。その上に高くそびえているところに、神の子イエス・キリストの顕現がある。
 もちろん、この構図は、イエスが死と復活を経たあとの昇天の場面にも構造的に近く、変容がいわばそれを前もって示す出来事であることを十分に感じさせる。同時に、最後のときに、イエスが栄光に満ちた姿で来臨することになるが、そのこともこの変容の出来事は前もって示していることになる。昇天や来臨のとき、イエスの側には天使たちが伴うことになる。もう一つ、上述、変容のときの神の声「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」(ルカ9・35)に注目すると、これは、イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときに、「『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(ルカ3・22)とある。洗礼に始まるイエスの宣教の生涯、その終幕(死と復活)の中間にこの変容の出来事があり、弟子たちに対する「これに聞け」という召命の呼びかけが明らかにされる。弟子たちが、本当にこの召命に応えるのは、イエスの復活と昇天ののち、聖霊降臨を体験してからである(ルカ福音書、使徒言行録の展開参照)。
 きょう主の変容の出来事を四旬節第二主日に記念する我々にも、もちろん、感謝の祭儀を通して、聖体の恵みとともに、神の計画の奥深さが示され、新たな派遣のことばが告げられる。
■お詫びと訂正
『聖書と典礼』四旬節第2主日C年(2025年3月16日)の表紙絵キャプションにおいて、「13世紀め」とある表記は、「13世紀初め」の誤りでした。お詫びして訂正させていただきます。

 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』四旬節第2主日 C年

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