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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2025年4月13日 受難の主日(枝の主日) C年 (赤)  
主の名によって来られる方、王に、祝福があるように (ルカ19・38より)

エルサレム入城
エセルウォルド司教典礼書
大英博物館 十世紀末

  受難の主日(枝の主日)は二つの頂点がある。開祭にあたるイエスのエルサレム入城の記念と枝の祝福の部、いわば受難の始まりの記念が一つ、そして言うまでもなくイエスの十字架での死の記念である。今年は、エルサレム入城の記念にちなみ、その場面を描く典礼書挿絵が表紙絵に掲げられている。
 一見して、大変装飾的な画面構成になっていることがわかる。場面を描く枠組みの四隅には、植物模様で飾られた円が配置されている。画面の下半分の中央にはもちろんロバに乗るイエス、その後ろには兵士もいるし、枝を持った人々もいる。イエスの前には、ロバの脚元に白い衣を敷く青年たち。右側の建物の中段からは二人のひとが枝を振っており、その屋根の上からも枝というよりも花束を振っているような姿がある。その(向かって対角の)左側には木の上から枝を振っている青年が二人見える。
 これらの構図要素のもとは福音書にある。きょうはC年の配分として、ルカ福音書19章28-40節が福音朗読箇所となっているが、並行するマタイ21章1-11節、マルコ11章1-11節も参照しよう。マルコ(11・8)では、「多くの人が服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉のついた枝を切って来て道に敷いた」、マタイ(21・8)では「大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた」、そしてルカ(19・36)では、「イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷いた」と述べられる。結局、枝も服も道に敷くというのが、イエスを迎える表敬の行為として描写されるだけである。
 ここには、枝を振る、振りかざすという行為は記述されていないのだが、絵の中では(また典礼でも)枝を手に持って掲げる、振りかざすことの描写があるのは、イエスに対する歓呼の叫びを具象化したものであると考えられる。マルコ(11・9-10)によれば、「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」、マタイ(21・9)によれば「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」、そしてきょう朗読されるルカ(19・38)では「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」となっている(下線部はその福音書固有の表現)。言うまでもなく、ミサの感謝の賛歌(サンクトゥス)の後半の典拠である。三つに共通な「主の名によって来られる方に、祝福があるように」とマルコ、マタイに共通な「いと高きところにホサナ」が感謝の賛歌に採用され、構成されていることがわかる。
 さて、絵の(向かって)左上には、木に上る二人の青年が描かれているが、この木に上る人の描写は、エルサレム入城の場面にはどの福音書にも出てこない。これは、ルカだけが伝えるエルサレム入城の前のエリコでの出来事である「徴税人ザカカイ」との出会い(ルカ19・1-10)のエピソードから入り込んだモチーフといわれる。イエスを見ようとしていちじく桑の木に登ったところ、イエスは上を見上げて「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(19・4-5)と言ったエピソードである。イエスを「主」と悟り、迎えた行為が際立っており、それに対してイエスは「今日、救いがこの家を訪れた」(19・9)と告げる。イエスを主と知り、信仰告白する行為が木に登って見るということに示されていた……というモチーフがエルサレム入城に際しても、道で、そして建物の中や上から、そして木の上からも枝を振って喜びたたえる行動として描いていくきっかけになったのだとしたら、大変興味深い。
 ロバに乗るイエスは、マタイ21章5節で引用されるゼカリヤ9章9節にも示されるように、高ぶることのないこと、へりくだりや柔和の示す姿をしている。同時に、イエスが王として迎えられるというところに、もっとも低くされた方がもっとも高くされるという神秘が暗示されている。それは、まさしくきょうの受難の主日のミサの第二朗読フィリピ書2章6-11節が告げるところである。この姿の中にも受難朗読によって記念されるイエスの十字架での死と、そして復活徹夜祭と復活の主日(日中)のミサで朗読される復活とがすでにひな型のように内蔵され、暗示されている。
 それゆえ、ミサでは、キリストの死と復活(すなわち過越)が記念され、現在化される奉献文に入るところで感謝の賛歌(サンクトゥス)をもって「天には神にホザンナ。主の名によって来られる方に賛美。天には神にホザンナ」と叫び、今、わたしたちが地上世界に来られた主の奉献の記念に向けて、主を喜び迎え、賛美するのである。受難の主日(枝の主日)から復活の主日に至る聖書朗読(もちろん聖なる過越の三日間の典礼ではより克明に)は、感謝の祭儀(ミサ)そのものの意味が深く説き明かされる。そのことを黙想する試みを、きょうの表紙絵の鑑賞とともに始めてみるのはどうだろうか。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』受難の主日(枝の主日) C年

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