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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2025年7月6日 年間第14主日 (緑)  
行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす (ルカ10・3より)

弟子たちを祝福するイエス 
福音書挿絵 
イタリア ロッサーノ大司教館付属美術館 6世紀

 きょうの福音朗読箇所は、ルカ10章1-12、17-20節(短い朗読の場合はルカ10・1-9)であり、イエスが、72人の弟子たちを派遣するときのことばが主要内容である。その内容は、なかなか厳しいものがある。といっても、「財布も袋も履物も持って行くな」(4節)というような、弟子たちの姿勢に対する厳しい戒めということだけではない。むしろ、この宣教がそもそも難しい状況の中でのことだ、という意味での厳しさに満ちていることの予告である。この派遣は、「狼の群れに小羊を送り込むようなものだ」(3節)。平和を告げ知らせる場合に、その家に平和の子が「いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる」(6節)。「町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこういいなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す』」(10-11節)――神の国が近づいたとの福音が直面する状況は楽観的なものではなく、たえず無関心や反感にも直面し得ることについての現実的な教えがここにはある。
 このような教えを中心とする箇所に対して、表紙絵では、6世紀という福音書写本の挿絵としては最も古い時代に属する絵が掲載されている。(向かって)左側にいるイエスの前に、弟子たちが並び、イエスに向かって、拝礼の姿勢で向かい、神を仰ぎ見てからイエスの手に接吻する、という一連の流れがあたかも動画のコマ割りの図のような流れで、一つの場面に収められている。文字が判読できず、具体的にどの箇所に対応する挿絵であるかも精密には判別しにくいが、きょうの弟子たちの派遣の内容と関連させて考えることはとても意味深い。
 それは、ここのイエスの姿は、金色の光輪が頭にあり、また金色の衣をまとっていることにある。すでに主としての尊厳が十二分に表現されている。弟子たちを迎え、接吻を受けているイエスの姿は、同時に、弟子たちを迎え入れて、祝福をもって派遣するところとして鑑賞してもよいだろう。また、朗読箇所の末尾(長い場合)の10章17-20節における派遣された72人が帰って来て、その様子を報告する場面にも関連づけて考えることができるだろう。
 ルカ福音書に関して注目されるのは、この文脈の中で、イエスが「主」と呼ばれていることである。朗読箇所の冒頭「〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた」とある。福音書は、基本的に「イエスは……」と述べていくのだが、ここでは、すでに「主は」と言われる。17-20節の帰ってきた弟子たちのことばも「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します」(17節)とあって、イエスが「主よ」と告白されている。
 このこと、すなわち、ルカ福音書における「主」表現については、三好迪著『ルカによる福音書 旅空に歩むイエス』(日本基督教団出版局 1996年)の181-183ページで注目され、解説されている。イエスに対して「主」という称号で呼ぶ例は、マタイ28回、マルコ5回に対してルカ福音書で40回ほど、使徒言行録で40回以上という事実がある。ルカが採用した伝承の本文にルカが「主」を加える例が多く、とくにそれは、イエスのエルサレムへの旅を記す部分(9・51~19・27)に多いという。その中の一部であるこの10章の72人の宣教派遣については使徒時代以降の万民への宣教に対する教会の意識、姿勢、自覚が反映されていると考えられるのである。
 このような福音書自体に、イエスの時代以降の教会の経験と信仰観が反映されているとするなら、四福音書、使徒の手紙などを含む新約聖書全体、そして旧約・新約含む聖書全体がまとまってきて正典として確立した後にキリスト教美術は描かれていくのであるから、この挿絵におけるイエスが全能の主、いつくしみ深い主としての力と栄光のうちに描かれていることも理解できる。それが感謝の祭儀(ミサ)で我々の出会う主のイメージになっていくのである。
 きょうの福音朗読箇所は、第一朗読のイザヤの預言(イザヤ66・10-14c)との関連で見ると、「喜び」の主題が根底に流れていることに気づかされる。それは、神がともにおられることの喜び、神の平和が実現していることの喜びである。弟子たちが帰ってきたときについても「七十二人は喜んで帰って来て」(ルカ10・17節)とある。その喜びについてイエスは、悪霊が服従することを喜ぶのではなく、「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」(20節)とイエスは言う。神に顧みられていること、神に喜ばれていることを喜べ、という意味である。それは、彼らが「この家に平和があるように」(5節)、「神の国はあなたがたに近づいた」(9節)という福音にとどまり、それを告げ知らせるとき、神のみ心に適っているのであり、そのことの喜びにとどまり続けることの大切さが言われているのだろう。キリストによってももたらされた神の国、その平和のうちにとどまること、その喜びのうちに生きることへの力強いメッセージがここにはある。それは、この表紙絵が生き生きと感じさせる、主キリストの祝福のうちに生き続けることにほかならない。我々がミサで受ける恵みがこの絵には端的に描かれている。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』年間第14主日

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