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聖書と典礼

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『聖書と典礼』表紙絵解説 (『聖書と典礼』編集長 石井祥裕)
2025年7月13日 年間第15主日 (緑)  
御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です(コロサイ1・15)

救い主でありいのちの与え主であるキリスト
イコン 
スコピエ マケドニア国立美術館 14世紀末 

 きょうの表紙絵は、第二朗読箇所のコロサイ書1章15-30節にちなんで掲げられている。冒頭の「御子は、見えない神の姿」ということばを噛みしめたい。
 コロサイ書の箇所で告げられている見えない神とは、父である神のことで、御子は、その存在や本質を同じにする方である。神の創造のわざは、「御子において」「御子によって」「御子のために」(16節)なされているものであり、万物と神との和解も「ただ御子によって」(20節)なされている。御子キリストがいつも父である神と一致しており、いつもともに働いていたのであり、今も働き、完成に至るまで働かれる、というすべての存在と歴史を総覧する展望で語られている。
 ここの創造に関する内容は、ミサで信仰宣言として唱えられるニケア・コンスタンチノープル信条の最初の部分――「わたしは信じます。唯一の神、全能の父、天と地、見えるもの、見えないもの、すべてのものの造り主を。わたしは信じます。唯一の主イエス・キリストを。
 主は神のひとり子、すべてに先立って父より生まれ、神よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られることなく生まれ、父と一体。すべては主によって造られました」の基礎をなしていることも理解できよう。
 我々がイコンのキリストを鑑賞するとき、このコロサイ書の教えを踏まえて礼拝心をもって主を仰ぐことが大切である。イコンのキリスト像は左手に巻物か本を携えている。ここでは、美しい装飾が施された本である。神のことばの象徴である。この表象からは、神のみことばそのものであるキリストのあり方を考えることもできるし、また旧約以来の神のことばの歴史を踏まえつつ、その頂点となったキリストとその教えのことばを考えることもできる。キリストの表情は厳しく、我々の思いを超えた高みからのまなざしで迫ってくる。主である御子イエス・キリストの威厳であると同時に、その奥に父である神の存在の重みが感じられるのである。そのキリストの右手は、全能の権威を示すものでもあり、その絶大な祝福を示すものである。
 ここでは、このイコンのキリストの姿が神のことばと祝福の象徴を伴っていることを、きょうの福音朗読箇所と第一朗読箇所を通じて考えてみたい。
 きょうの福音朗読箇所は、ルカ福音書10章25-37節、善いサマリア人のたとえが語られる箇所である。「隣人を自分のように愛しなさい」(ルカ10・27。レビ19・18参照)の教えを述べたときの「隣人とはだれですか」(29節)の問いかけに対して、その善いサマリア人のたとえが述べられる。この場合、困っている人の隣人となったのが、その人を助けたサマリア人であるという展開になる。隣人が助けるべき相手を指す言葉であると同時に、その相手にとって、助けた人が隣人となっていたという意味で、「隣人」という語が二重の意味で使われていることで、隣人愛の教えが一層深められている。
 この福音の教えを第一朗読箇所の申命記30章10-14節の教えと重ね合わせてみると、似た教えがあることに気づく。申命記では「心を尽くし、魂を尽くして、あなたの神、主に立ち帰(りなさい)」(申命記30・10)とあり、ルカ福音では、申命記6章5節の引用として「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』(ルカ10・27)とある。申命記の朗読箇所では、このような掟を含めて神の「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」(申命記30・14)とある。神のことばを行うこと、神の教えに従って生きることへの呼びかけである。そこには、神を愛することが基本にあり、その具体的な実現こそ、隣人への愛、あるいは困っている人の隣人に自らがなることにある、という教えがある。それは、神を愛することがその行動の原動力であることも福音であるのではないだろうか。
 申命記のことば「御言葉はあなたのごく近くにあり、あなたの口と心にあるのだから、それを行うことができる」(申命記30・14)は、神を愛する人に対する力強い励ましであり、祝福であり、派遣のことばといえる。福音書の中のイエスも、神への愛と隣人への愛を教える律法をよくわかっている人は、それを行うことができるし、また、行わなければならないことを告げつつ、最後に「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10・37)と告げている。申命記のことばとイエスのことばは全く重なり、それは、今の我々へのメッセージとなっている。ミサの最後のことばは日本語式文では「感謝の祭儀を終わります。行きましょう、主の平和のうちに」などと告げられる。「行きましょう」と訳されているところは、直訳すれば「あなたがたは行きなさい」である。それを受けての「わたしたちは行きましょう」の意味になっているが、このことばの奥には、キリストの「行きなさい」が響いていることを知る必要がある。それは、このイコンのように、神のことばにこたえて、それに従って行い、生きることを、祝福をもって命じているキリストの姿である。
 きょうの福音箇所をさらに深めるために

和田幹男 著『主日の聖書を読む(C年)●典礼暦に沿って』年間第15主日

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